被告人の話を一言も聞くことなく「逆転有罪」の判断ができるのか~美濃加茂市長事件控訴審不当判決(村山浩昭裁判長)の検討(その2)~

 

前回の【”重大な論理矛盾”を犯してまで有罪判決に向かったのはなぜか ~美濃加茂市長事件控訴審不当判決(村山浩昭裁判長)の検討(その1)~】に続き、美濃加茂市長事件控訴審判決の不当性について具体的に述べていきたい。

今回の控訴審判決で、「逆転有罪」という判決が出ることは、我々弁護人だけでなく、マスコミ関係者、そして、おそらく、検察関係者にとっても予想外だったはずだ。その最大の理由は、被告人の藤井市長が控訴審の公判に毎回出廷していたのに、被告人質問どころか、法廷で一言も言葉を発する機会を与えられていなかったことだ。

「刑事事件で裁判にかけられる」と言われて、多くの人が思い浮かべる場面は、裁判の法廷で、裁判官に問い質される場面であろう。警察や検察の取調べに対しては、黙秘をすることも否認を通すこともできる。しかし、裁判にかけられると、法廷に立たされ、有罪・無罪の判決を言い渡す裁判官の前で、検察官・弁護人から、そして、最後には裁判官からも直接質問される。裁判の最初に「この法廷でも、言いたくないことは言わなくてもよいという権利があります」と黙秘権の告知が行われるが、身に覚えのない罪であれば、そのことをしっかり訴えて裁判官に理解納得してもらえなければ、無罪判決を得ることは期待できない。法廷で証言した場合は、供述内容だけではなく、話し方、態度、表情などあらゆる面から、「起訴事実を否認している被告人が言っていることは本当か」が裁判官に判断される。そういう意味で、否認事件の裁判での被告人質問は「裁判の核心」であり、それは、被告人にとっても最大の「緊張の場面」である。

一般的には、検察官の立証と弁護人の反証がほぼ終わった段階で被告人質問という心証形成のための重要な場面を経て、裁判所の判断が固められて、判決が言い渡される。一審が無罪判決の場合、控訴審において、一審判決を覆して有罪を言い渡すのであれば、控訴審裁判所も被告人質問を実施して、被告人に直接問い質して心証をとるのが最低限の要請であろう。

最高裁判所のホームページで公開されている「裁判の迅速化に係る検証に関する報告書(第2回)」の「高等裁判所における刑事訴訟事件(控訴審)の審理の状況」についての解説中に、2006年の司法統計に基づき控訴審の判決結果ごとの被告人質問実施事件の数が掲載されている。控訴審判決には、「控訴棄却」「破棄差戻し」「破棄自判」の3通りがあるが、一審判決を破棄して、自ら有罪・無罪を言い渡す「破棄自判」をした1474件の事件のうち、被告人質問が実施されていない事件は9.9%の146件に過ぎない。この146件の中には、「法令適用の誤り・訴訟手続きの法令違反」の場合や、被告人供述と無関係な証拠上の判断で有罪判決が覆って「無罪」が言い渡される場合など、被告人質問の必要性がない「破棄自判」が相当数あると考えられることからすると、被告人質問が行われないで「破棄自判」の「逆転有罪判決」が言い渡される事件はほとんどないことが、統計上も裏付けられている。

一審の被告人質問で、藤井市長は、現金授受は全くないことを訴えた上、市議時代の浄水プラントの導入に向けての活動も、中林の依頼によるものではなく、美濃加茂市民のための防災対策として積極的に取組んでいたことを明確に述べた。検察からは、4人の検事が入れ替わり立ち代わり、様々な質問を行ったが、覚えていることはしっかり答え、覚えていないこと、はっきりしないことは、その通り答えた。検察官からの質問は、ほとんどが的外れで、供述の信用性に疑問を生じさせるようなものではなかった(当ブログ【「空振り」被告人質問に象徴される検察官立証の惨状】)。被告人が弁護人・検察官の質問に答える様子や、その証言内容は、それまでの審理の結果を踏まえて被告人質問に臨んでいた裁判官にも十分に理解納得できる内容だったはずだ。一審の3人の裁判官は、その際の心証も含めて、被告人供述は信用でき、中林証言は信用できないと判断したのである。

ところが、控訴審では、一審で行われた被告人質問での藤井市長の供述を、裁判記録の中の速記録だけを読んで、「信用できない」と切り捨てたのである。

その理由は、

被告人は、原審公判において、各現金授受の事実をいずれも否認している。そして、それは、捜査段階から一貫している。しかし、被告人は、中林から現金を受け取ったことはないと明確に否定する一方で、中林が各現金授受があったとする際の状況について、曖昧若しくは不自然と評価されるような供述をしている。

というものだ。

(10万円の現金授受があったと中林が証言している)4月2日にガストで中林と会った際のことについは、

①メールのやり取りからすれば、当日会った目的の一つとして資料の交付があったはずなのに、被告人は、当日資料を受け取ったかどうかはっきり覚えていない、受け取ったことを否定するわけではないが、渡された資料の内容はちょっと覚えていない、同(2)の資料を見せられても、ガストでそれを見たという光景が思い出せないなどと述べている。また、同(1)のメールのやり取りからすれば相当多忙な中時間をやりくりして中林と会ったはずであるのに、当日に中林と何を話したのかも具体的な記憶がないなどと供述している。中林の供述からは、この日被告人と会った大きな目的の一つは被告人に現金を渡すことであったことが明らかで、また、中林は、被告人に対して、資料の中に現金入りの封筒を入れて渡したと供述しているところである。被告人としても、多忙な中でわざわざ時間を作って中林らと会ったのに、その目的や話した内容、渡された資料などについて、具体的な記憶がないなどと供述しているのは、やや不自然との感は免れない。

と述べている。

そして、(現金20万円の授受があったと中林が証言している)4月25日の山家でのやり取りについては

②中林と何を話したかはっきり覚えていない、浄水プラントの話も出たかどうか記憶にないし、資料を受け取ったかどうかもはっきり覚えていない、中林が当日どうして山家に来たのかも分からないなどと述べている。翌日のメールのやり取りでは、被告人自らが、中林からのメールに対して、山家での会合が盛り上がったことを認め、「本当にいつもすみません。」と感謝の意を表していることに照らすと、この被告人の供述にも不自然さが感じられる。

と判示している。

しかし、①については、藤井市長(被告人)は、その場で現金は全く受け取っておらず、一緒に昼食をしただけだと一貫して述べているのである。そういう藤井市長が、1年半も前に誰かとファミレスで短時間、昼食を一緒にした時のことについて、資料をもらったか否か、どのような話をしたのかなど具体的に覚えていることの方がおかしい。しかも、「多忙な中で時間を作った」のであれば、余計に細かいことは覚えていないのが普通であろう。

②についても同様だ。被告人は、その場でも、現金を受け取ったことを一貫して否認している。単に、Tと会って話をするために指定された居酒屋に赴いたら、その場に中林がいて、30分程度同席していただけだ。その時にどんな話をしたのかと聞かれても、細かく覚えているわけがないし、中林は何をしに来たのかなどと聞かれてもわかるわけがない。翌日のメールで感謝の意を表していることと、1年半も経った後に、その日のやり取りについて記憶しているかどうかということと、どう関係するのかも全く不明である。

裁判でこのような理屈が通るのだとすれば、他人と一緒に食事をしたりする時は、必ず話の内容や受け取った資料の内容をメモしておかなければならないことになる。会った相手が、後で、「現金を渡した」と言い出した場合、全く現金をもらったことなどなくても、その時の会話の内容や受け取った資料の中身について記憶が曖昧だと、「現金を受け取っていない」という話を全く信じてもらえない、ということになるのである。

結局のところ、被告人質問調書の中から、記憶が曖昧だと正直に述べている部分を拾い出して、被告人供述全体が信用できないと判断したのである。そのような理由で、多忙な公務をやりくりして控訴審の公判期日に毎回出廷した藤井市長の話を全く聞くことなく「逆転有罪」と判断することがどうしてできるのか。

本日、藤井市長は、近く市長を辞任し、選挙に出馬することで、不当判決と戦いながら、市長の職責を今後も全うしていくことへの市民の信任を問う意向を表明した。

藤井市長は、収賄事件で逮捕・起訴された後、保釈されて市長職に戻って以降、多くの市民に直接会って説明し、現金授受の事実が全くなく、自らが潔白であること、市議会議員時代、純粋に市民のために、災害対策としての浄水プラントの導入に尽力してきたものであることを、繰り返し、繰り返し説明し、市長の話を信じる圧倒的多数の市民や市議会の支持の下で、被告人の立場にありながら、市長職を務めてきた。

そして裁判では、一審の3人の裁判官が、藤井市長が法廷で述べたことを慎重に評価した末に出した結論が「無罪」であった。その結論を、市長の言葉を一言も聞くことなく、いともたやすく覆したのが今回の控訴審判決だ。

これまで何度となく市長の生の声を聞き、理解・納得してきた美濃加茂市民は、この判決を、どう受け止め、どう判断するのであろうか。

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被告人の話を一言も聞くことなく「逆転有罪」の判断ができるのか~美濃加茂市長事件控訴審不当判決(村山浩昭裁判長)の検討(その2)~ への5件のフィードバック

  1. 伯谷 和昭 より:

    結論ありきで進めたとか、何か裏で動いているとしか思えない。憤りを感じます。

  2. 裸の王様 より:

    「有罪・無罪を言い渡す「破棄自判」をした1474件の事件のうち、被告人質問が実施されていない事件は9.9%の146件に過ぎない」について調べましたところ、
    最高裁1956年7月18日大法廷判決(刑集10巻7号1147頁)において、
    「第一審判決が被告人の犯罪事実の存在を確定せず無罪を言い渡した場合に、控訴裁判所が何ら事実の取調をすることなく、第一審判決を破棄し、訴訟記録並びに第一審裁判所において取り調べた証拠のみによって、直ちに被告事件について犯罪事実の存在を確定し有罪の判決をすることは、刑訴第400条但書の許さないところである」と判示していました。
     村山浩昭裁判長が被告を取り調べないで下した逆転有罪判決は、最高裁の判示に背くものであり、
    判決そのものが無効なのではないでしょうか!

  3. Suzuki Kiyomi より:

    まさに、郷原弁護士の指摘通りである。被告人に一言の質問もなく、一審の被告人供述を否定し、逆転有罪判決を出せるのか?村山裁判官は、袴田事件で再審決定をした後、検察の反発が怖くなり、今回は検察に迎合した、と勘ぐってしまう。

  4. 不良定年親父 より:

    高裁は常に裁判官3人(内乱罪の場合は5人)の合議制だから、左右陪席の裁判官の見解と裁判長の見解とが相反した場合、前者に依拠した判決がでると思うのがふつうと思います。しかし、左右の陪席は、自分の査定ないしは出世に影響するから、裁判長の意見には逆らえないようです。これでは、合議制の意味がないように思われますが・・・。

  5. 国を憂いる より:

    裁判所が冤罪を確定するメリットは何か。
    陸山会事件では、国の進むべき道を変えたくなく、既得権益者を守りたいとの思いがあったと思われる。
    美濃加茂市長事件で、法に触れると思われる無謀な有罪判決を出しても、得られるメリットは少ないし、検察擁護にしては、後の検証に耐えない違法判決は裁判所にとってのリスクが大きすぎる。
    三権分立を無視した判検交流が長く続く間に検察・裁判所に怖いものが無くなり、法と正義を蔑にする風潮が醸成されており、この悪弊により国民の正義感も失われる事態になっていると感じる。
    大統領弾劾に導く韓国国民の方が法と正義を守っており、日本人は長いものに巻かれろとの意識が台頭しているようだ。

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