ビッグデータは誰のものか

JR東日本が、共通乗車カード・電子マネーのスイカに記録された乗降データ(以下、「スイカ・データ」と言う。)を、利用者に無断で日立製作所に有償で提供していたことが明らかになって、利用者側から大きな反発を招いた。JR東日本は、利用者側の要望に応じて提供データから除外する措置をとったが、それに続いて、NTTドコモが、携帯電話事業によって把握している基地局エリア内の携帯電話の位置情報(以下、「ドコモ・データ」と言う)に基づいて、特定地域の時間ごとの人口変化などの情報をまとめた報告書を作成して流通業や外食企業などに販売する方針を打ち出し、話題になっている。

このような企業のビッグデータの活用に関して問題にされているのは、個人のプライバシーの侵害の恐れの有無である。匿名化されたデータであっても、何らかの形で特定される可能性があるのではないか、それに関して、情報を把握される側に事前に了解を得たのかどうかなどの点である。

スイカ・データについては、個人が特定されて、情報が活用されることがないよう一応の措置はとられていたが、利用者側の事前の了解が得られていなかったことが問題とされた。そのことを踏まえて、NTTドコモは、個人が特定されないための措置をとるだけではなく、契約者が電話で申請すれば、予め個人データの利用を停止することとしている。

「個人のプライバシーの保護」に関して、個人情報保護法の規定に反しないという「法令遵守」だけではなく、それ以上に、同法の目的であるプライバシーの保護を徹底していくことが必要との認識で、企業側の対応の在り方が議論されているというのが現状である。

拙著「法令遵守が日本を滅ぼす」(新潮新書)などで、かねてから述べているように、複雑・多様化した現在の社会においては、法令・規則の「遵守」だけで社会の様々な要請に対応できるものではない。コンプライアンスとは、法令遵守を超え、「社会の要請に応えること」でなければならない。とりわけ、司法の社会的機能が限定的であった我が国においては、「法令遵守」にこだわることの弊害が顕著に表れる。

そういう観点からは、まさに「社会の複雑・多様化」が極端に表れる「情報空間をめぐる問題」に関して、企業のコンプライアンスとして、個人情報保護法という法令の遵守を超えた対応が求められるのは当然のことである。

問題は、ここで求められる「法令遵守」を超えた対応を、どういう次元で考えるかである。私は、情報の価値が一層大きくなり、世の中が情報を中心に動いているとすら思える状況において、有体物が価値の中心だった社会を前提とする旧来の法体系での解決は限界にきているのではないか、という問題提起を、かねてから行ってきた。

旧来の私有財産制は、物理的な支配・管理が可能な有体物についての権利を、個人の意思に基づいて移転することを基本としている。物理的に支配・管理が可能な物に対しては、「所有」を観念することが容易である。有体物は、売買・贈与など所有者の意思によって所有権を移転することができ、何らの権限もないのに、他人の「所有物」の支配・管理を侵害することに対しては、支配・管理を回復し、損害賠償を請求する法的手段が認められる。

一方、情報に関しては、そもそも、物理的・直接的な支配・管理は困難である。情報の流出・拡散は不可逆的に生じ、原本と複製の区別、情報流出元の特定は極めて難しく、原状回復も事実上不可能であり、返還請求という手段もあり得ない。有体物を個人の意思によって移転することを中心とする伝統的な法体系による解決方法は、基本的に当てはまらない。

スイカ・データ、ドコモ・データなどビックデータの活用をめぐって生じている問題は、まさに、情報を中心とする社会が旧来の法体系では解決し得なくなっていることを端的に表すものと言えよう。

これらのデータの活用に当たって、「個人情報の保護」「プライバシーの保護」が重要な社会的要請となるのは当然であるが、それは問題の本質ではない。

根本的問題は、企業・団体、国・自治体等の組織内に、組織の活動に伴って消費者に関する大量の情報が蓄積され、それらを活用することで経済的利益が生じる場合に、情報を活用する権利は誰に帰属するのか、という点である。

スイカ・データ、ドコモ・データがまさにそうであるように、これらのビッグデータは、多額の対価を得ることができる大きな経済的価値を有するものであるが、当該企業自らがコストをかけて創造したものではないし、データに対する対価を払って取得したものでもない。鉄道事業や通信事業における大量の消費者との取引の中で「事実上取得した情報」に過ぎない。

利用者は、電車に乗車するためにスイカを購入しているのであって、その際、乗降データをJR東日本に提供することなど考えてはいない。ドコモの携帯電話を使用する消費者も、位置情報をドコモに提供して、それを利用させる認識はない人が殆どであろう。

そのような形で、消費者に対して何らかのサービスを提供する企業の側に、消費者に関する大量の情報が蓄積され、大きな経済的価値が生じるというのは、まさに、高度情報化社会において出現した現象である。このような場合、その情報が誰に帰属するのか、それを活用して利益を得ることが許されるのか、ということに関して、現行法では何も定められていないし、そもそも、有体物を個人の意思によって移転することを中心とする伝統的な法体系によって解決することは著しく困難なのである。

企業の事業活動において、当該企業が所有する生産設備、原料、当該企業に雇用された労働者の労働によって「有体物たる製品」が生み出されれば、「原始取得」によって当該企業にその所有権が帰属する。副産物が生じた場合も、有体物である限り、当該企業の所有物となる。伝統的な民事法体系における「所有」と「占有」の法的効果からは、当然の帰結である。

一方、無体財産の場合は、直接的・物理的支配は不可能で、「占有」が観念できない。そのため、無体財産に関する排他的な権限を認めるためには、法律によって、その権利を認める枠組みが必要となる。事業活動の中で生み出された発明、ノウハウ、顧客情報などが誰に帰属するのかは、法令や契約等で定められることになる。

その典型例が知的財産権の制度である。知的創造活動の成果としての知的財産については知的財産の創出者は、知的財産法によって、特許権、実用新案権等の知的財産についての特別の権利を得ることができ、その権利は、侵害者に対する損害賠償請求権や罰則等で保護される。

ビッグデータは、知的創造物と同じように、場合によってはそれ以上に、大きな経済的価値を生み出すものであるが、それを誰に帰属させるのか、どのような手続をとることによって活用できるのかについて、知的財産法のような法制度が存在しない。それに関する社会的ルールも未整備である。それが、スイカ・データ、ドコモ・データのような問題が生じる根本的な原因なのである。

ビックデータを最先端の情報処理技術によって活用することは、消費者にも大きな利便をもたらし、経済社会にも大きな価値をもたらす行為である。その有効活用は、まさに、社会の要請に応えるものと言えよう。そのために、有効活用していくことについて利用者側・消費者側にも納得が得られるよう社会的コンセンサスを形成することが必要なのである。

現状では、ビックデータ問題に対して、企業側がとっている対応は、①データを匿名化し、絶対に個人が特定されないような措置をとる、②HPなどで、データの活用に同意しない利用者・消費者には、「データの除外」の要請をするように呼びかける、の二つが中心である。JR東日本がスイカ・データを利用者に無断で日立製作所に有償で提供したことに対して、利用者側からの強い反発が生じたことに対応するものであろう。

しかし、ここで生じた反発は、「個人が特定され個人情報が使用される恐れ」に対する不安によるものだけではない。根本的なのは、「電車の乗降という自分自身の行動に関する情報を鉄道会社側が勝手に使って利益を得ることに対する反発・違和感」である。

①の個人情報の取扱いについて万全の措置をとることで、前者に対する不安は払拭できても、それだけでは、後者についての反発・違和感を抑えることはできない。②の措置について十分な周知徹底が行われば、データ除外の要請が相当数に上ることになるであろうが、それによって、データは「歯抜け」になり、情報そのものの価値が低下することになる。

それは、ビッグデータを有効活用していくことによって、社会の要請に応えていくことに逆行することになりかねないのである。

では、ビッグデータの有効活用のための制度的枠組みを、今後、どのような方向で考えていったら良いのであろうか。

本来、企業が「事実上取得した」ビッグデータを活用する権利は、当然にその企業に帰属するものではない。個々のデータの主である利用者との間でどのような手続き・措置をとることで当該企業がそれを活用する権利を取得できるのか、あらかじめルールを定めておく必要がある。

その際重要なことは、このようなビッグデータは、利用者全体に由来する情報であり、それによる利益は社会に還元されるべきだということである。そこで問題になるのは、ビッグデータの経済的価値をどのように算定し、企業活動に関連する料金の算定、企業会計に反映させていくのかということである。

情報処理技術の高度化により、ビッグデータは、一個人や一企業の思い付きと特殊な技術との結び付きでのみ活用され価値を有するものではなく、それ自体が汎用的な価値を持つに至っているように思われる。そうであれば、ビッグデータ自体の経済的価値、価格が算定可能なはずである。その価格形成を公正に行うために考えられるのが「ビッグデータ市場の創設」である。

例えば、スイカ・データは、JR沿線の各駅の乗降客についての膨大な情報であり、それは、その沿線の商業施設の建設や出店計画、関連する企業の経営方針の策定に関する貴重なデータといえる。それがどれだけの経済的価値を有するのかは、市場原理による価格形成に委ねるのが最も合理的ではないか。

そして、ビッグデータの市場価格が明らかになれば、それは、上場企業であれば開示される貸借対照表上も資産として計上することになり、会計処理上も重要な要素となる。そして、鉄道事業等を営む公益企業であれば、その資産額は公共料金としての運賃の認可においても考慮されることとなる。

このように、市場化によってビッグデータの経済的価値を企業会計や公共料金算定の要素としていくことが、ビッグデータを社会的資産として活用していくことにつながるのである。

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