猪瀬知事の「謝罪」に見る「法令遵守」への逃避

猪瀬直樹東京都知事が、4月16日、2020年の夏季五輪招致をめぐって、米ニューヨークタイムズ紙のインタビューで、他の立候補都市と東京とを比較し、「イスラム諸国は互いにケンカばかりしている」「イスラム諸国が共有しているのはアラー(神)だけで、お互いにけんかばかりしている。階級もある。」と述べたことを、27日付の同紙が報じたことで、「各都市は他都市の批判や他都市との比較を行ってはならない」としている五輪招致規範に抵触することなどが問題にされ、批判を浴びている。
この問題で、猪瀬知事は、4月29日には、「私の真意が正しく伝わっていない。ほかの立候補都市を批判する意図は全くなく、このようなインタビューの文脈と異なる記事が出たことは非常に残念だ。」とコメントしていたが、30日には、記者会見で、一転して、発言を撤回し、謝罪した。
その会見で、猪瀬知事が強調しているのは、「東京のPRのためだった」ということ。東京の良さを中心に話す中で他都市との比較もしたと説明し、「98%は東京の話であり、インタビューの終了間際に、他の都市についてどう思うかと聞かれたので、それに答える中で、誤解される表現があった。」として、「不適切な発言」を撤回している。そして、その後の質問に対して。「今回のニューヨークタイムズのインタビューで、どういう発言が規範に触れるかがわかったので、いい経験になった。大変良かった。今後は、IOCの規範を遵守していきたい。」と繰り返し発言している。
猪瀬知事の発言は、真摯な謝罪とは凡そ程遠いものである。自分の発言の何が問題だったのか、何がいけなかったのか、全く理解できていない。

猪瀬知事の話は、「『五輪招致規範』の『規定』がよくわかっていなかった。今回の件でよくわかった。今後は『規定』を遵守する。『規定違反』は繰り返さない」ということだ。
しかし、重要なことは「五輪招致規範」という「規定」に反したことではない。
その規範の背後には、オリンピックの歴史と伝統の中で育まれてきた基本理念があるはずである。それは、様々な人種、文化、宗教の国、富める国、貧しい国、平和な国、戦乱にあえぐ国など、多種多様な国からスポーツ選手が集い、そのような国や社会の違いを超えて、国の栄誉を賭けて、能力を出し合い、フェアに戦い抜く。そこに、スポーツの祭典としてのオリンピックの最大の意義があるはずだ。
そういうオリンピックの開催地を決めるプロセスの中で、招致立候補都市が、他の都市を批判すべきではない。最終的には、招致立候補都市が相互に比較され最も適切な都市が開催都市に選ばれることになるが、その「比較」を、当事者である招致立候補都市の側が行うことは、オリンピックの基本理念に反するというのが、この五輪招致規範が定められている理由であろう。
猪瀬知事の発言の最大の問題は、招致立候補都市の首長として、そういうオリンピックの基本理念に反する発言をしたことにあるのである。
「薄ら笑い」を浮かべながら会見に応じた猪瀬知事は、「どういう発言が五輪招致規範という『規定』に反するかがよくわかっていなかった。今回の件でそれがわかって良かった。」と言っているが、何が「良かった」のであろうか。
「98%が東京のPRである」というのは猪瀬知事の立場からは当然のことであろう。しかし、ニューヨークタイムズの記者には、東京開催のメリットなど十分にわかっており、さしたる関心はなかったはずだ。客観的な比較からは優位だと思える東京と他都市との比較について聞かれて、どのように答えるのか、東京五輪招致の中心人物である猪瀬知事の基本的な考え方を「2%」の時間で聞いたところ、図らずも「本音」が出てきたので、記事にしたということであろう。
猪瀬知事は「他都市との比較を聞かれたから答えた。答えなければ良かった。」というようなことを言っているが、そのような質問に対しては、「他の立候補都市もそれぞれ開催地に相応しい都市だと思うが、我々は東京での五輪開催が素晴らしい大会となり、世界中の人々に喜んで頂けるものと確信している。」というのが、オリンピックの基本理念をわきまえた見識ある答え方であろう。

私は、『「法令遵守」が日本を滅ぼす』(新潮新書・2007年)『思考停止社会~「遵守」に蝕まれる日本』(講談社現代新書・2009年)などで、形式的に法令規則を守りさえすれば良いという考え方、「遵守」の自己目的化の弊害を指摘してきた。重要なことは、法令・規則の形式的な文言ではなく、その背後にある社会の要請であり、その社会の要請に応えることこそが、真のコンプライアンスなのだということを強調してきた。
猪瀬知事の発言の最大の問題は、オリンピックの基本理念に反し、オリンピックを通して実現しようとする「他者、他国を尊重し合うフェアネス」という社会の要請そのものに反したところにある。
猪瀬知事の会見での「謝罪」は、問題を「五輪招致規範」の規定の「遵守」にすり替え、「法令遵守」に逃避しているに過ぎないのである。
東京五輪招致をめざす都知事としての基本的な姿勢自体を問われかねない発言をしたことを真摯に反省し、謝罪しない限り、東京五輪の招致活動に重大な支障となることは避け難いであろう。

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猪瀬知事の「謝罪」に見る「法令遵守」への逃避 への6件のフィードバック

  1. mukagura narabe より:

    なるほど、猪瀬知事はお粗末でしたが、私にはオリンピックそのものが色あせて見えます。短慮でしょうか。

    • nobuogohara より:

      最近のオリンピックの実態が基本理念とは異なったものとなっていることは確かだと思います。しかし、そのことと、オリンピックの招致をめざして活動する立候補都市の首長が、招致活動を成功させるために、どのような基本的姿勢で臨むべきなのかという問題とは別だと思います。オリンピックの実態が商業主義に偏り、理念とは違うものになっているから、招致活動も基本理念を軽視してもよいということにはならないと思います。

  2. より:

    全くもってその通りだと思います。謝罪を見た限りこれもPRになるだろうぐらいな安易な事を思ってるのかもしれないがとんでもない話です。
    200億とも言われる招致費用を溝に捨てかねない行為。

    招致が決まってもないのに昨年競技施設予定地にある団地の人々に立ち退きを勧告している事、そしてその殆どが御高齢な方たちであること、なによりマズイのはその方たちのその後の補償に関して都は何も決めてないこと。

    移転先を提示しているとは聞きましたが、荷物を全て持って行けないぐらいな場所とも…

    北京やリオでも立ち退きの報道はありその都度人権擁護を謳ってきた報道さえもダンマリを決め込んでいるものだから殆どの人はそんなは話あることすら皆無でしょう。

    要は経済効果などの商業的な旨みに全てが乗っかっているのは明らかであると思います。

    正直辞退する事で日本の潔さをアピールするぐらいがいいのではとも思います。

  3. 昇竜 より:

    日本の政治家は後で「撤回、謝罪」すれば事が済むと思い込んでいる人が多い。
    一般的なビジネスマンが客先で相手を卑下し、その後に「間違っていました、先の言葉を撤回します。」って
    まかり通るわけ有りません。

    それらを考えると、あまりにも一般常識的な意識が無くなった「センセイ」が多いですよね。
    政治家は「国民の代表」なので、猪瀬さんの言葉は「日本国民」の代弁と思われても仕方ない。って
    それぐらいの意識をもって喋って欲しいもんです。

    政治家のたった一言で国が滅びることも有ると思っていないんでしょうかねぇ

  4. 鈴木 良市 より:

    全くその通りだと思います。
    また、この時期のガイドラインの線引きがわかり貴重な体験だったとtwitterに書いていますが、親日国トルコを侮辱してまで得たい「貴重な体験なのか?」と言いたい。言ってしまったことは取り返しがつきません。今は、弁解せずに相手国と五輪招致委員会並びに自国民に対し、はっきり謝罪し、以降は口を慎みおとなしくしている他はない。結果的には、日本人の品格を疑われる事にもなりかねない事態なのだ。
    もし五輪招致に失敗するような事態に至った場合、その理由の如何に拘わらず、都民からは、首都東京を貶め五輪招致に使った金が全てムダ金だったとして、猪瀬個人に対し賠償請求訴訟が起こされる可能性だってあるかもしれない。政治に責任を取ろうとしない政治家全てへの見せしめにもやって欲しいものだ。

  5. Atusi Tani より:

    「謝罪では済まない」という重圧が「謝罪すらしない」、「謝罪より軽い事で済ませる」という悪い方向に進んでいるような。
    猪瀬は自身が差別主義者であることを表明し、自身のそれに闘いつづける、とか東京からヘイトスピーチを消去するとか、反省をするだけで今より楽になるのにね。

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