八田隆氏の対検察国賠訴訟の意義

八田隆氏の国賠訴訟における代理人としての意見陳述は以下の通り。

本訴訟は、国税局に告発され、検察官に起訴された脱税事件で、一審無罪判決、検察官控訴の棄却で無罪が確定した原告が、告発、起訴が違法であったとして、国家賠償を求めるものである。

本件の審理が行われるに当たって、原告代理人として、検察官の違法な起訴等に対する賠償請求について意見を申し述べたい。

検察官は、起訴・不起訴の判断について広範な裁量権を与えられている。

検察官が、起訴する事件を「有罪判決が得られる高度の見込み」で絞り込むことが、有罪率99.9%という高い有罪率につながっていることに対する批判もあり、たとえば、鉄道事故、航空機事故等の業務上過失致死事件等で、被害者・遺族の強い希望がある場合は、有罪判決が得られる見込みが低い事件であっても、敢えて起訴して、公開の法廷における審理を通して裁判所の判断を仰ぐべきという意見もある。平成21年の検察審査会法改正で、告訴・告発に係る事件について検察審査会の議決に一定の法的拘束力が認められるようになったのも、検察官の不起訴処分によって事件を終結させず公判での審理に委ねるべきとの社会的要請が考慮されたものと言えよう。

また、幼児の誘拐殺人事件のように、事件が未解決であることが地域社会に大きな不安を与える事件においては、捜査機関に対して、犯人を検挙することへの社会的要請が強く働く。確実に有罪判決が得られる見込みがない事件であっても、犯人であることが合理的に疑われる被疑者を逮捕し、捜査を遂げて起訴し、それが最終的に無罪になったとしても、捜査・公判の手続き、検察官の対応等に問題がなければ、検察官が起訴したことがただちに社会的に問題となるわけではない。

事件の性格、内容によって、検察官が起訴するに当たって必要とされる「有罪の見込み」の程度は異なるのであり、英語で刑事裁判がcriminal trialであるように、検察官には、有罪判決の見込みが低い事件でも、刑事裁判に「挑戦」することが社会的に求められる場合もあるのである(なお、そのような社会的要請に応えて、実際に「挑戦」することが許されるのは、「推定無罪の原則」が徹底され、起訴による被告人の不利益を最小限とするよう配慮が行われることが条件である。起訴事実を否認する被告人が長期にわたって身柄拘束される、いわゆる「人質司法」や、検察官手持ち証拠の開示が不十分な状況の下では、検察官の「挑戦」的な起訴など許容される余地はない。)。

しかし、本件で東京地検特捜部が起訴した八田氏の事件は、そのような「積極的な起訴」が期待される事件とは全く性格を異にする。
まず、本件には、処罰を求める被害者も遺族もいない。日本では、国家が個人から税を徴収するに当たって、自ら所得を申告して納税させるという「申告納税制度」が採用されている。その下では、当局による所得の把握を困難にするような仮装・隠ぺい行為が行われると、制度の運用に支障が生じることから、そのような行為を罰することで、納税者の正直な所得申告を確保しようというのが脱税犯処罰の趣旨であり、まさに、税を徴収する国の側の事情による処罰なのである。
そうである以上、脱税による処罰の対象は、結果的に所得の申告が過少だったという「申告漏れ」ではなく、意図的に所得を過少申告して税を免れようとしたことが客観的に明らかな場合に限定されなければならないのは当然である。

その点の立証に疑念がある場合に起訴を行うことは、徴税という国家作用のための国家機関である検察官の公訴権の濫用であり、許されない。

とりわけ、給与所得者の場合、所得税が給与から源泉徴収されることで、「申告納税制度」によらず、国家も徴税コストをかけず、多くの国民から税を徴収している。そのような給与所得者に、もし、源泉徴収されていない、納税申告すべき所得があって、申告が行われていない場合には、その不申告ないし過少申告が脱税の意図に基づくものでない限り、税務当局は申告の不備を指摘して納税させればそれで足りるのであり、脱税犯としての処罰の対象とすることなど、絶対にあってはならない。
ところが、給与所得者であった八田氏は、所得の一部が源泉徴収されておらず、申告を怠っていたことについて、脱税の疑いをかけられ、脱税で告発され、起訴が行われたのである。八田氏は、すべての所得が源泉徴収されていると認識していたもので、脱税の意図は全くなかったと一貫して主張し、それを裏付ける十分な証拠があった。長期間の多数回にわたる取調べの結果で、検察官は、八田氏に脱税の意図がなかったことを十分に認識していた。それなのに、八田氏の弁解を無視して、起訴を行った。

そして、一審公判で適切な審理が行われ、当然の結果として無罪判決が出たが、検察官は、その「当然の無罪判決」をも受け入れずに控訴を申立て、これまた「当然の控訴棄却判決」が出された。

本件の起訴、そして、控訴は、一体何のために行われたのであろうか。それは、国税局と検察との面目、体面の維持、両者の関係を維持するという「組織の論理」に基づくものとしか考えられない。それは、徴税という国家作用のための検察官の権限の濫用であり、源泉徴収によって納税している多くの給与所得者に対して、重大な脅威を与えるものである。

このような不当な起訴・控訴に対しては、単に、裁判所の適切な判断によって、その不当な試みが失敗に終わった、ということだけで終わらせてはならない。

本訴訟において、裁判所において適切な審理・判断が行われ、違法な起訴、控訴を行った個人及び組織の責任が明らかになることによって、検察官の権限濫用の防止を図っていくことが不可欠である。

 

 

 

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