「不起訴不当」議決を検察はどう受け止めるのか

陸山会事件をめぐる虚偽捜査報告書等の事件に関して、昨年6月、検察が田代政弘元検事(以下、「田代」と略称)らに対する不起訴処分について、「健全な法治国家のために声を上げる市民の会」(以下、「市民の会」と略称)による検察審査会への審査申立てが行われていたが、今月22日、東京第一検察審査会は、田代元検事について「不起訴不当」、佐久間達哉元特捜部長(以下、「佐久間」と略称)、主任検察官だった木村匡良検事(以下、「木村」と)ら上司について「不起訴相当」の議決を出した。

この虚偽捜査報告書作成等の問題は、検察審査会の起訴議決によって起訴された小沢一郎氏に対する東京地裁での審理の中で表面化し、「市民の会」が田代らを告発していたものだった。最高検は、昨年6月28日に田代らを不起訴処分にしたが、昨年4月に出された小沢氏に対する一審判決の中で、「事実に反する捜査報告書の作成や検察審査会への送付によって検察審査会の判断を誤らせることは決して許されない」「事実に反する内容の捜査報告書が作成された理由、経緯等の詳細や原因の究明等については、検察庁等において、十分調査等の上で、対応されることが相当」などと異例の厳しい指摘が行われたことなどもあって、不起訴処分の際に、「国会議員の資金管理団体に係る政治資金規正法違反の捜査活動に関する捜査及び調査等について」と題する報告書をマスコミ等に開示し、同事件の不起訴処分の理由を明らかにした。

この報告書の内容については、本ブログ【社会的孤立を深める検察~最高検報告書は完全に破綻している】において、「今回の問題に対する真相解明にはほど遠く、この問題に関する疑惑の説明にも全くなっていない。そして報告書の中で述べられている考え方や物の見方の多くは、内部だけで全てを決められる閉鎖的な組織の中だけにしか通用しない「身内の理屈」であり、社会の常識から理解できず、到底受け入れられるものではない。」と厳しく批判した。

また、昨年9月に公刊した【検察崩壊 失われた正義】(毎日新聞社)[kindle版]では、田代元検事の取調べの対象者で虚偽報告書作成問題の当事者の石川知裕衆議院議員、元法務大臣の小川敏夫参議院議員など4名との対談を交えて、同報告書が、全くの「詭弁」と「ごまかし」だらけのものであることを指摘した。

そして、最近になって、小川参議院議員が、『指揮権発動 検察の正義は失われた』と題する著書を公刊し、最高検報告書を厳しく批判するとともに、指揮権発動について当時の野田首相に了承を得られず不発に終わった経緯を明らかにした。

田代らに対する虚偽捜査報告書作成等の事件の不起訴処分に対して、昨年8月、「市民の会」による検察審査会への審査申立てが行われ、8ヶ月の期間の審査の末に出されたのが今回の議決である。

今回の議決は、田代の事件については、「田代報告書の提出を受けた東京第五検察審査会は、田代報告書を基に、B(石川知裕氏)がA(小沢一郎氏)への報告・相談等を認める旨の供述を維持した再捜査の供述の信用性を認めるなど、公文書の内容に対する公共的信用を害している」などとして報告書の虚偽性を認めた上、「記憶の混同」だとする田代の弁解やそれを是認した検察の判断を厳しく批判し、「不起訴不当」の結論を出している。

一方、田代の上司の佐久間、木村については、田代報告書の内容が事実に反するものであることは容易に知り得たのではないかという状況的な疑いは残るものの、田代も上司の虚偽報告書作成の指示を否定しており、その認識を窺わせる証拠がないとして、「不起訴相当」としている。

田代についての「不起訴不当」の議決を受けて、検察は再捜査を行うことになる

検察審査会が出す議決には「起訴相当」「不起訴不当」「不起訴相当」の3つがある。検察の不起訴処分を是認するのが「不起訴相当」。「起訴相当」「不起訴不当」は、いずれも検察の不起訴が不当だとして再捜査と再検討を求めるものだが、「起訴相当」の場合、検察が、再度の不起訴処分を行っても、その後、検察審査会の再審査で、「起訴議決」が出ると、指定弁護士による起訴手続きが行われることになるので、「法的拘束力」が生じる可能性があるのに対して、「不起訴不当」の場合は、検察が再捜査の結果、再度不起訴処分を行えば、それで事件は終結するので「法的拘束力」はない。

「起訴相当」ではなく「不起訴不当」にとどまったという議決の結論を重視すれば、「検察に対して生ぬるい議決」だと見ることもできる。審査補助員として委嘱された弁護士が検察幹部出身者だったことが、そのような議決の結論に至った原因だとして、判断の公正さに疑念を示す意見もある。

確かに、「検察の身内の犯罪に関する不起訴処分」に対する検察審査会への申立ての案件において、その検察の幹部出身の弁護士が審査補助員を務めるということは、判断の公正さに重大な疑問を生じさせるものである。いかなる経過、事情でこのような審査補助員の選任が行われたのかを解明することが必要である。

しかし、逆に言えば、そのような「検察寄り」の審査補助員の助言や働きかけが疑われる状況にあったにもかかわらず、検察審査会が、検察の不起訴処分に対して「不当」との結論を出したことの意味は、逆に大きいと言えるのではなかろうか。

議決書の中には、検察の不起訴理由に対する厳しい指摘、疑問が並んでいるが、それらは、「検察寄り」の審査補助員の意見、一般市民の審査員の率直な意見に基づくものといえるであろう。

しかも、この事件での「不起訴不当」議決に対する検察の対応は、通常の事件と同程度で済まされるものではない。

通常の事件であれば、検察審査会の「不起訴不当」の議決に基づいて検察の再捜査が行われても、その結果、再度「不起訴」の処分について理由の説明が求められることはない。検察としては、何らかの再捜査を行って、不起訴にすれば、それでお終いである。

しかし、当初の不起訴処分の段階で、「最高検報告書」まで公表して、実質的に不起訴理由の説明を行っている本件においては、そのようなことでは済まされない。

検察審査会の議決で不起訴が「不当」とされた理由に基づいて、その疑問や問題の指摘に応えられるような捜査を行い、その捜査結果について、議決書の「不起訴不当」の意見・指摘に応える形での説明が十分に行うことが求められることになる。

そういう意味では、本件議決は、法的拘束力はなくても、一般的な「不起訴不当」議決とは異なるのであり、検察は、議決に正面から応えられるよう、捜査を尽くす重い義務を負ったと見るべきである。

では、今回の検察審査会の議決では、検察の不起訴理由に関して、具体的にどのような問題が指摘されているのか。検察官が検察審査会に説明した不起訴理由は、前記の最高検報告書と同様だと考えられるので、そこに記載された不起訴理由と、議決書の内容、「市民の会」ホームページで公開されている検察審査会への審査申立書等とを比較対照してみよう。

議決書で示された田代の不起訴処分を不当とする理由の多くは、上記審査申立書の申立理由を認めたものであり、同審査申立書及び別紙「最高検報告書の不当性と本件の明白性」と対比しながら読むことで、その趣旨が良く理解できる。

最高検報告書では、「田代報告書と録音記録との間の趣旨の不一致の有無」として、田代報告書の記載と実際の取調べでのやり取りとを比較すると、田代報告書の記載に「相応するやり取り」が録音記録の中にあるので、「田代報告書に記載されている内容と実際の取調べにおける供述の趣旨とは実質的に相反するものではない」としている。

田代報告書の中では、石川氏が、「検事から,『貴方は11万人以上の選挙民に支持されて国会議員になったんでしょ。そのほとんどは,貴方が小沢一郎の秘書だったという理由で投票したのではなく,石川知裕という候補者個人に期待して国政に送り出したはずですよ。それなのに,ヤクザの手下が親分を守るために嘘をつくのと同じようなことをしていたら,貴方を支持した選挙民を裏切ることになりますよ。』って言われちゃったんですよね。これは結構効いたんですよ。それで堪えきれなくなって,小沢先生に報告しました,了承も得ました,定期預金担保貸付もちゃんと説明して了承を得ましたって話したんですよね。」と供述したことになっている。しかし、これに「相応するやり取り」というのは、録音記録中の「なんか、ヤクザの事件、ま、検事も言ってたけどね。『石川さん。ヤクザの事件と同じなんだよ』って」という石川氏の発言だというのである。

この点について、議決書は、捜査報告書の記載内容に関する一般論として(以下、議決書の主な引用部分は[])、[読みやすくするために、誤解を与えない範囲で文言を付加して話を若干膨らませるようなことはあり得る]と認めた上で、[このような理解に立って、田代報告書の被疑事実該当部分と取調べにおける実際のやり取りを記載した反訳書を比較するに、田代報告書の当該部分が、実際のやり取りの「ヤクザの事件」云々等からどのように連想されたか理解できない。両者の内容は実質的にも相反していると言わざるを得ない。]と述べて、両者の内容が実質的に相反していることを明確に認めている。

また、議決書は、審査申立書で虚偽公文書作成罪等に当たるとして審査申立ての対象事実としていた、「色々と考えても、今まで供述して調書にしたことは事実ですから、否定しません。これまでの 供述を維持するということで、供述調書を作ってもらって結構です。」 と供述した旨の記載についても、[読み手に誤解させるおそれを払拭できないので、虚偽記載の疑いがある]としている。

「虚偽公文書作成罪の故意」については、

[上記「ヤクザの事件」の前後のやり取りを子細に検討すると、Bが勾留中の供述を翻した場合のAの起訴の可能性やAの共犯性のやり取りに関して、上記「ヤクザの事件」の発言が出たものと推察される。一方、田代報告書では、選挙民に支持されたことやヤクザの親分を守るために嘘をついたら選挙民を裏切る旨説得したことが記載されている]

と指摘し、田代報告書に記載された「ヤクザの事件」の話と実際の取調べでのやり取りが全く異なったものであることから、平成22年5月17日の取調べにおいては存在しなかった「ヤクザの事件」に関する問答を、虚偽と認識しながら意図的に取り込んで報告書を作成した可能性を指摘している。

田代が、捜査報告書作成時点において、石川氏が「ヤクザの事件」について発言したことを記憶していたのであれば、それが「ヤクザの親分を守るために嘘をついたら選挙民を裏切ることになる」という意味ではなく、Bが勾留中の供述を翻した場合のAの起訴の可能性やAの共犯性のやり取りに関するものであることを認識していたはずであり、それは「記憶の混同」を基礎づけるものではなく、逆に、意図的に虚偽の記載をしたことを示すものだという指摘は、審査申立書でも、拙著でも指摘していない、田代の虚偽文書作成の故意に関する新たな指摘である。市民の審査員の大変鋭い視点だといえよう。

要するに、議決書では、最高検報告書の「田代報告書の記載が録音記録中の『ヤクザの事件』の話と実質的に相反しない」という見方を明確に否定し、田代報告書の虚偽性を明確に認めた上、両者の内容の比較からも「記憶の混同」の弁解は全く通らないと厳しく指摘しているのである。

さらに、議決書は、取調べ中にメモを作成しないか、作成してもごく簡単な内容のものしか残さないという田代元検事の一般的な取調べ方法にも触れ、

[その様な取調べ方法を採る検事は、それなりに自己の記憶に自信を持っているはずで、その記憶の自信からしても、簡単に記憶の混同を起こすとは考えられない]

として、田代元検事の「記憶の混同」があり得ないことを重ねて述べている。

そして、注目すべきは、この点に関連して、検察審査会での検察官の説明の際の審査員とのやり取りについても異例の言及を行っていることである。

[検察審査会において説明した検察官は、審査員からの「駆け出しの検事ならいざ知らず、40才台のベテランの検事である田代が、簡単に記憶の混同を起こすとか、勘違いをすることが有り得るのか」という趣旨の質問を受け、「検事も人の子ですから、間違いはあると思う」旨答えているが、それでは答えになっておらず、むしろ、答えに窮して、表現は悪いが、誤魔化していると評さざるを得ない。]

と厳しく批判している。

議決書が、検察官の不起訴理由説明の際の審査員と検察官のやり取りに言及したのは、田代の「記憶の混同」の弁解を崩せないという不起訴理由の説明が、審査員に全く納得できないものであったこと、そして、その検察官の説明の姿勢が「誤魔化し」に近いものであったことに対する審査員の強い不満を表したものと見るべきであろう。

さらに、議決書は、

[検察官の不起訴裁定では、虚偽の内容の報告書を作成しても、過失を処罰する規定がないので、認識していなかったとか、間違えて書いてしまったと言えば、結局のところ責任逃れになり責任追及はできなくなるのではないか。]

とまで言っている。

過失による虚偽の捜査報告書作成が処罰されない現状の下では、「記憶の混同」の弁解を安易に認めれば、検察官が捜査報告書に意図的に虚偽記載をする行為が野放しになるとして、田代の「記憶の混同」の弁解を「鵜呑み」にした検察の不起訴処分を厳しく批判するものである。

議決書は、これらの厳しい指摘を踏まえて、田代の不起訴処分についての「結論」として、

[虚偽有印公文書を作成するにつき故意がなかったとする不起訴裁定書の理由には十分納得がいかず、むしろ捜査が不十分であるか、殊更不起訴にするがために故意がないとしているとさえ見られるので、以上に指摘した点を踏まえて、本件(被疑事実の要旨第1の1)についての不起訴処分は、不当であると判断し、より謙虚に、更なる捜査を遂げるべきであると考える。]

と述べている。

「殊更不起訴にするがために故意がないとしているとさえ見られる」との表現は、身内の犯罪に関して、「記憶の混同」などという明らかに不合理な弁解を容認した検察の捜査・処分に対して重大な疑念を示したものである。検察の再捜査は、このような検察の捜査・処分に対する異例の厳しい指摘、批判に応えられるものでなければならないもし、再度不起訴にするのであれば、当初の不起訴処分の際と同様に、検察には十分な理由の説明が求められることになる。当初の不起訴処分と同様に「記憶の混同」の弁解を理由に再度不起訴にすることは、検察審査会の議決を無視するものであって、到底許されるものではない。かかる意味で、再捜査の結果に基づく検察の処分は、法的な拘束力は受けなくても、社会的には大きな制約を受けることになる。

もう一つ重要なことは、田代報告書が対話形式で記載されていること、(石川氏の反応について)「『うーん』と唸り声を上げ」などというリアルな記載があることなどから、「何らかの意図」をもって、虚偽の内容の捜査報告書を作成したのではないかとの「推察」を示していることである。

[記憶が曖昧であるにもかかわらず、対話形式で書いたということは、そういう心証を持たせたいという意図があったのではないか。さらに、捜査の対象の社会的影響の大きさなどを考え合わせると、田代報告書の作成において慎重な姿勢はうかがわれず、むしろ何らかの意図があってこのような報告書を作成したのではないかと推察される。]

と議決書では述べているが、ここで言うところの「何らかの意図」というのが、「小沢氏の事件に対する検察審査会の議決を起訴相当の方向に誘導すること」であることは明らかであろう。そのような「意図」は、田代の「個人の意図」とは考えられない。

議決書では、田代の上司であった佐久間及び木村についての不起訴処分について、[佐久間及び木村は、平成22年5月17日のBに対する取調べ中に、数回にわたり、その取調べ状況、とりわけ供述内容について報告を受けたり質問したりして、供述調書の作成方針に関する指示を出していたことがうかがえるので、田代報告書が事実に反することは容易に知り得たのではないかという状況的な疑いは残るものの]と述べて、佐久間及び木村が、田代の虚偽報告書作成に関与した疑いを指摘した上で、[田代自身も、上記両名から田代報告書の虚偽記載に関する指示は一切ない旨供述していること]を理由に、[佐久間及び木村の供述に不自然な点はあるものの、虚偽公文書作成、同行使罪の成立を認める証拠は見当たらない]として、結論としては、不起訴処分を[相当と言わざるを得ない]としている。

要するに、「佐久間及び木村が虚偽捜査報告書の作成に関与した疑いはあるが、田代が、両名からの指示を否定しているので、その証拠がない」という理由で、不起訴処分は致し方ないと言っているのである。

そこで問題とされる田代の供述内容に関して、議決書は、田代の「記憶の混同」の弁解は到底信用できないばかりではなく、「何らかの意図」を持って虚偽の捜査報告書を作成したと「推察」している。

再捜査で、田代に対して、議決書の内容を踏まえた十分な取調べが行われれば「記憶の混同」の弁解が容認されることはあり得ないし、田代が真実を供述すれば「何らかの意図」を持って虚偽の捜査報告書を作成したことが明らかになり、それが、佐久間及び木村の側の「何らかの意図」に基づいて行われた可能性が十分にある、という趣旨であろう。

今回の事件に関して検察審査会の議決が検察に求めているのは、現時点の証拠関係のままで田代を起訴することで決着させることではない。

「記憶の混同」などという明らかに不合理な弁解を許すのではなく、議決で指摘した事実を含め、十分な追及を行うことで、田代に、虚偽の内容の捜査報告書の作成の経緯、「何らかの意図」の内容について真相を語らせ、上司の関与、組織的背景も含めて明らかにした上で、田代の処分を決することを求めていると見るべきであろう。

十分な事実解明が行われれば、田代は、上司に命じられるままに虚偽の捜査報告書を作成したことが明らかになるかも知れない。そうであれば、田代の処分は起訴猶予にとどめ、上司の刑事責任を追及するのが適切ということも考えられる。また、「虚偽の捜査報告書による検察審査会の議決の誘導」という、検察にとってあってはならない重大な不祥事が発生させることになった東京地検特捜部の陸山会事件捜査が、どのような経緯で、いかなる方針で行われ、そこにどのような問題があったのかについて、外部者も含めた客観性を確保した体制による検証を行われることが、何より重要なのであり、それが、検察或いは法務省によって適切に行われ、検察の抜本改革に結びつくのであれば、田代やその上司個人の刑事処罰は必ずしも不可欠ではない。

今回の議決を受け、検察は、田代に対する再取調べで、議決書での指摘及びその背景となった審査申立書及び別紙「最高検報告書の不当性と本件の明白性」での指摘を十分に踏まえた徹底した再捜査を行うべきである。議決書での異例の言及を行って批判した審査会において行われた検察官説明のような「誤魔化し」の姿勢は決して許されない。

田代に対する徹底した再取調べを行えば、田代も「記憶の混同」の弁解を維持することはできないはずである。田代から真実の供述を得ることができれば、それを発端に、日本の民主主義に重大な脅威を生じさせた陸山会事件捜査の真相を解明することは決して不可能ではないはずだ。

「法的拘束力」のない「不起訴不当」だが、最高検報告書の不起訴理由を正面から否定した厳しい内容の今回の議決が、検察組織に対して、抜本的な改革を求める「刃」となるかどうかは、この議決を受けて行われる検察の再捜査に対して、多くの国民とマスコミが関心を持ち続け、捜査の結果行われる処分についての説明責任をどれだけ厳しく追及するかにかかっている。

検察の権力行使にかかる犯罪に対して厳正な捜査・処分が行われるようチェック機能を果たすことは、検察審査会による審査制度の最も重要な機能である。本件議決後の事件の展開は、制度の真価を問うものと言っても過言ではない。

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「不起訴不当」議決を検察はどう受け止めるのか への3件のフィードバック

  1. 妹尾 良(せのお りょう) より:

    田代に法廷で真実を喋られたら困るのは誰か

  2. 田北光一 より:

    田代が上司を庇う証言をしているのは何故か?

  3. 淡路長光 より:

    検察のトップに正義感に燃える人物がいたなら、このような世界中を巻き込む大事件には成らなかっただろう。もし、私が検察のトップならロッキード事件に匹敵する歴代総理の逮捕、起訴を起こしただろう。

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