佐藤真言氏の著書『粉飾』で明らかになった「特捜OB大物弁護士」の正体

「貸し渋り」「貸し剥がし」が横行する中小企業金融の実態に幻滅して大手銀行を退職、中小企業経営者に寄り添い、経営改善の支援に懸命の努力をしていた経営コンサルタントの佐藤真言氏が、粉飾決算の指南で多額の報酬を受け取っているとの誤った「見立て」をした東京地検特捜部に狙われ、引き返さない捜査に追い詰められていく経過を描いた迫真のノンフィクション『粉飾~特捜に狙われた元銀行員の告白』が出版された。51qzRri-WyL._SL500_AA300_

粉飾決算による融資詐欺で一審、二審で懲役2年4月の実刑判決を受け、上告審に最後の望みを託して戦い続けている佐藤氏の悲痛な叫びが、最高裁にも届くことを祈りたい。

当ブログでは、昨年9月、「『正義を失った検察』の脅威にさらされる『400万中小企業』」で、この事件を世の中に知らしめた石塚健司氏の著書『400万企業が哭いている 検察が会社を踏み潰した日』を紹介した。懸命に中小企業の経営改善に取り組む経営者朝倉亨氏と、それを必死に支える経営コンサルタントの佐藤氏を踏み潰した捜査というのが、実は、廃止される寸前の東京地検特捜部直告2班が「起死回生の一打」を狙って手掛けたもので、まさに検察改革の生み出した悲劇であることを明らかにした。

その後、私は、控訴審第1回公判を直前に控えた朝倉氏の弁護人に就任、検察の捜査・起訴が、誤った認識に基づくもので、刑事事件として立件されるべきではないこと、この事件での実刑はあり得ないことを訴え、「朝倉亨さんを支援する会」に全国から寄せられた400万円を超える支援金で被害弁償を提供するなどして、刑の執行猶予を求めたが、昨年11月に出された判決は、実刑を維持し、被害弁償を考慮して懲役2年という、4か月分の軽減にとどまった。朝倉氏はただちに上告するとともに、法律問題に関して上告受理申立ても行ったが、今年3月に上告は棄却。朝倉氏は、間もなく収監される。

今回の佐藤氏の著書『粉飾』では、『400万企業が哭いている』には書かれていない、この事件のもう一つの断面が明らかにされている。それは、一審と二審で佐藤氏の弁護人を務めた弁護士のことだ。

この弁護士は、『粉飾』では「義家」という仮名で登場するが、『400万企業が哭いている』の中では実名で登場する。その特捜部長・検事長OBの「大物弁護士」は、特捜捜査に立ちはだかった「現役の特捜検事たちにとって『最も厄介な敵』」として描かれている。しかし、その「大物弁護士」と、佐藤氏の『粉飾』に出てくる「義家弁護士」とが、同一人物とはとても思えない。

『400万企業が哭いている』の「大物弁護士」は、「特捜部など検察で多くの華々しい成果を挙げ、高検検事長まで上り詰めた後、退官後は母校の法科大学院教授として教鞭をとる、その一方、弁護士として古巣に真っ向から立ち向かい、後輩たちにひと泡もふた泡も吹かせる判決を勝ち取っている」。本来であれば、佐藤氏が弁護を依頼できるような人物ではないが、佐藤氏が事務所への「飛び込み」で相談をしたところ、「大物弁護士」は、「中小企業を助けるコンサルタントという仕事に対する情熱」、「真剣なまなざし」、「己のやったことへの確かな信念に触れて感銘を受け」、「君、お金がないんだろ。お金のことは心配しなくていいよ。私は君から取ろうとは思っていないから」と言って、弁護を受任することにした。そして、主任検事と直接何度か話し合い、捜査拡大に苦言を呈する。特捜の手の内を知り尽くし、特捜の先輩たちも苦渋をなめさせた人物、しかも、検察首脳にも太いパイプを持った「大物弁護士」の動きによって、捜査拡大にブレーキがかかり、幕引きに向かう。

検察に大きな影響力を持つ「大物弁護士」が、まさに手弁当で、懸命の弁護活動を行ったことが、佐藤氏を最悪の事態から救ったかのように書かれている。

ところが、『粉飾』で描かれている「義家弁護士」は、それとは全く違う。

起訴され、保釈になった後の「義家」弁護士と佐藤氏との話合いの場面が出てくる。粉飾決算書による融資詐欺での起訴自体に、佐藤氏は全く納得ができず、事実関係を争い、無罪の主張をしたい意向だったが、「義家弁護士」は、「一発実刑もあり得る」と言って、事実関係を争わず、執行猶予狙いで行くことを勧める。その際、「義家」の「執行猶予が当然の事件」という言葉で、佐藤氏は、「義家弁護士」に全幅の信頼を置いて裁判に臨むことにし、反省と謝罪を行い、情状酌量を求めることに徹した。

しかし、一審判決は2年4月の実刑。執行猶予はつかなかった。判決の内容は、多くの点で事実と異なり、佐藤氏にとって全く納得のいかないものだった。

その判決に先立って、「義家弁護士」は、万が一の実刑判決の場合、再保釈のために保釈保証金を積み増す必要が生じるので500万円を用意しておくよう佐藤氏に求めていた。佐藤氏は、やむなく、末期がんで余命僅かの宣告を受けていた実母が形見として名義変更して残してくれていた保険を解約した500万円を「義家弁護士」に渡していた。

一審の実刑判決後、200万円の保釈保証金増額で再保釈が認められたが、その際、「義家弁護士」は、「控訴審をこれから戦うのに費用もいろいろかかる」「刑法の大先生にも控訴趣意書を書いてもらわないといけない」「残りの300万円は控訴審の費用として頂いておく」と言ってきた。佐藤氏は、有無を言わせない「義家弁護士」の言葉に従うしかなかった。

その際、佐藤氏は、妻から、逮捕時にも、「義家弁護士」から弁護費用として200万円を要求され、支払っていたことを聞かされた。

「義家弁護人」ら弁護人が提出した控訴趣意書が、「佐藤真言さんを応援する会」のホームページにアップされているが、それを見る限り、一審の実刑判決が破棄されることが期待できるような「控訴審での戦い」が真剣に行われたとは全く思えない。

控訴趣意書で、情状に関する事実として述べているのは、①粉飾決算は、朝倉氏など融資を受けた会社経営者の判断によって行われたもので、経営コンサルタントとして指導・助言を行った佐藤氏は、「幇助的役割」に過ぎないこと、②粉飾決算に関与した佐藤氏の動機、心情は、中小企業の経営再建に貢献したいという思いからであること、③佐藤氏は、朝倉氏などに、決算期ごとにリスケ(返済延期)を進言していたが、朝倉らが、これを拒否して、粉飾決算のままで融資を受けていたものであること、④佐藤氏が行っていたコンサルタント業務は、粉飾決算による融資に関するものだけではなく、他の経営指導も行っていたこと、⑤佐藤氏は粉飾決算の違法性、危険性を説き、粉飾決算に関与することに躊躇していたのに、朝倉氏らが、粉飾を強く依頼し、協力させたものであることなどである。要するに、責任が佐藤氏ではなく、朝倉氏などの経営者の側にあることを繰り返し、佐藤氏が自らの非を認めて反省していることを強調しているだけである。

驚くのは、「銀行関係者の処罰感情が厳しい」と一審判決が指摘していることに関しては、「処罰感情が厳しくても、行為者が既に改しゅんの情を示し、改善・更生が確実に期待できるときは、施設内処遇(実刑)を選択すべきではない」というような、一般的な刑事政策論を展開していることである。このようなことを弁護人が言わざるを得ないのは、被害者側の被害感情が峻烈で、それを尊重すれば実刑しかあり得ない場合であろう。しかし、本件は、そもそも「処罰感情が厳しい」といえるような事案ではない。

朝倉氏の控訴審で提出した「控訴趣意補充書2」(私が朝倉氏の弁護人に加わった時点で、既に控訴趣意書は提出されていたので、主張を再構成して「控訴趣意補充書」として提出した)で述べているように、一審判決で、「銀行関係者の処罰感情が厳しい」という一審判決の認定は誤っている。本件では、「被害者」の銀行及び信用保証協会の側が出した書面は、犯人の処罰を求める「告訴状」ではなく、被害事実を申告する「被害届」に過ぎず、しかも、その時期は逮捕前ではなく、起訴の直前である。そこでは「厳正な処罰」を求めているが、「厳重処罰」という言葉は使っていない。通常の窃盗・詐欺等の財産犯において、被害者の被害申告・告訴等による「厳重処罰」の要請を受けて刑事事件が立件されるのが一般的であるのに対して、本件では、被害者側から自発的に「被害届」が提出されたものではなく、検察官側から、起訴することを告げられた上、強く要請されたために提出されたものであることは明らかだ。

要するに、刑事事件として立件し、債務者側を処罰することを、銀行等の被害者側も決して望んではおらず、検察官に強く要請されて、しぶしぶ被害届の提出に応じたものであり、「処罰感情が厳しい」という一審判決の判示は誤っている。

その点は、元銀行員の佐藤氏が、今回の事件について最も強く訴えたいことのはずだ。少なくも、朝倉氏の関係に関して言えば、検察の強制捜査がなければ、会社が破産することもなく、それまで通り約定返済を続けることは可能であった。銀行側にとっても、検察の強制捜査のために、融資先が返済不能になってしまったのであり、まさに迷惑至極だったはずだ。

ところが、「義家弁護士」らの控訴趣意書では、このような被告人が最も訴えたい本質的な問題には全く触れず、「処罰感情が厳しい」という一審判決の認定を当然の前提にして、使い古されたような「刑事政策の一般論」を持ち出して「刑務所に入れるべきではない」と言っているだけなのである。

それ以上に不可解なのは、「東日本大震災復興緊急保証制度を悪用したことを真摯に反省して贖罪寄附をする予定」と書かれていることである。佐藤氏から直接確認したところでは、実際に、弁護士会を通じて300万円の「東日本大震災被災者のための贖罪寄附」を行い、それを控訴審で立証したそうである。

通常、贖罪寄附というのは、被害者がいない刑事事件などで、改悛の心情を表すために行うものである。本件では、前記のような経緯に問題があるとはいえ、被害届を提出している「被害者」たる銀行等が存在しているわけで、資金があるのであれば、まず、被害弁償を行うのが当然である。佐藤氏の贖罪寄附については、控訴審の裁判官も首を傾げ、被告人質問で「なぜ、被害弁償をしないで贖罪寄附をしたのか」と質問したそうである。

朝倉氏の控訴審では、本人には被害弁償を行う資力がなかったが、「朝倉亨さんを支援する会」に全国から寄せられた400万円の支援金を「被害者」の銀行側に提供し、供託したことが情状面で評価され、一審の2年4月の実刑が4月軽減されて2年の実刑となった。佐藤氏の300万円が被害弁償に回っていたら、量刑面でも相当な影響があったのではないかと悔やまれる。

もちろん、本件は、2つの銀行と信用保証協会が「被害者」とされており、権利関係は単純ではない。実際に、朝倉氏関係での被害弁償金の提供に対しても、当初、銀行側は受領しようとせず、弁護人側で供託の手続きをとった。弁護士会にお金を持ち込むだけで行える贖罪寄附などとはとは、かかる手間もコストも全く異なる。しかし、そのような手間を厭わず、何とかして、なけなしの被告人の資金を有利な情状評価につながるよう活用するのが弁護人の職責と言うべきであろう。「被害届」を出している銀行側が被害弁償を受領しようとしないことは、銀行側の処罰感情がもともと希薄であることを示す事実とみることもできる。朝倉氏の控訴趣意補充書2では、その点も主張している。

控訴趣意書で述べていることは、殆どが一審での主張の「焼き直し」であり、一審の実刑判決が破棄されるわけがない。佐藤氏の控訴審判決は、弁護人の量刑不当の主張を簡単な理由で退けて「控訴棄却」、一審の2年4月の実刑がそのまま維持された。

そして、控訴審判決の一ヶ月半後、佐藤氏は、「義家弁護士」から、一方的に、弁護人辞任を通告される。佐藤氏が、自分の事件のことをネットで発信したり、明治大学で開かれたシンポジウムに参加して、事件の内容・問題点について発言したりしているのが「弁護方針と合わない」ということが理由なのだという。控訴審でも実刑判決を受け、厳しい状況に追い込まれた佐藤氏が、不当な捜査や裁判によって世の中に広まった汚名を、社会への発信によって少しでも晴らそうとするのは、当然のことではないか。上告趣意書提出期限を1ヶ月後に控えた時期に、「義家弁護士」から、突然、見捨てられた佐藤氏は、途方にくれる。

特捜捜査も全くデタラメであるが、そのような不当な捜査で起訴された佐藤氏が、二審まで実刑判決という厳しい裁判になっていることの大きな原因は、この「義家弁護士」の弁護活動にあるように思える。

『400万企業が哭いている』の中(238頁)で、「大物弁護士」は、石塚氏のインタビューに答えて、東京地検特捜部が佐藤氏・朝倉氏を粉飾決算書の提出による融資詐欺を立件して捜査の対象としたことについて、次のような「本音」を語っている。

《震災復興の保証を受けた会社を調べていったら、かなりの数がそれ(粉飾)をやっているはずだよ。捜査をもっと広げたいんなら、中小企業向けの保証融資を受けている会社を全部調べてご覧よってことだよ。ほとんどマイナスの会社だよ、多分。そんな捜査をやっていったら大変なことになるでしょ。だからつまりね、こんなものは検察のやるべき領域じゃないんだよ。金を貸す銀行が相手企業の与信について検討して判断するわけなんだから、銀行の判断の誤りを検察がやる話じゃないんだよ。そんなものを検察がやっていたらおかしくなる》

そのように認識しているのであれば、なぜ、『震災復興の保証を受けた会社を調べていったら、かなりの数がそれ《粉飾》をやっている』という認識に基づいて、本件は、本来、立件されるべきではない事件が立件され、捜査の対象にされたものだということを主張しないのか。証人尋問で「被害者」の銀行側の真意を問いただせば、「融資詐欺」の実態が、検察の主張とは全く異なったものであったことも明らかにできたであろう。

証人尋問まで求めないとしても、特捜OBの「大物弁護士」が、石塚氏のインタビューで語ったような、中小企業の粉飾決算による「融資詐欺」を刑事事件として取り上げることに対する根本的な疑問を少しでも公判で主張していたら、裁判所の事件の見方にもかなりの影響を及ぼしていたはずだ。

ところが、「義家弁護士」が行ったのは、佐藤氏が著書で述べているような、特捜部の捜査・起訴に対して、最も言いたいこと、納得できないことを一切主張せず、佐藤氏の事件への関与は「従犯的」であり、粉飾決算を主導したのは朝倉氏などの経営者側だなどと経営者側の責任を強調することと、佐藤氏の反省・悔悟を強調することばかりだった。そして、前記のように、一審判決での「被害者」の銀行側の「処罰感情が厳しい」と認定には誤っているのに、それに対して何ら異論を差し挟まず、一方で、何とかして執行猶予を得るために佐藤氏が用意した300万円も、その「被害者」への弁償ではなく、贖罪寄附に提供してしまう。

このような「義家弁護士」の対応が、佐藤氏の情状立証に殆ど役立たなかったばかりか、経営者側の朝倉氏などの責任を強調したことで、朝倉氏も含めて経営者側が二人とも実刑判決を受けることの一因になり、それが、結局、佐藤氏も実刑判決を受けることにつながったと見ることもできる。

特捜部が誤ったストーリーや事件の評価に基づいて、不当な捜査が行われ、被疑者、被告人が、刑事裁判による救済を求めているのに、弁護人の特捜OB弁護士が、「争っても勝ち目はない」「身柄の拘束が長期化する」などと言って、事実を争うことを断念させるということが、過去の多くの事件で行われてきた。それが、特捜捜査の問題を表面化させないようにすることにつながってきた。

今回の事件の当事者である佐藤氏が、「義家弁護士」について、敢えて著書『粉飾』で書いていることは、事実としてほぼ正確と考えてよいであろう。

『400万企業が哭いている』が書かれた頃は、まだ、弁護人の「義家弁護士」に全幅の信頼を置き、その刑事弁護の手腕に望みを託していた佐藤氏が、石塚氏の取材に対して、「義家弁護士」のマイナス面の事実は話さなかったことが、同書で「大物弁護士」が極端に持ち上げられて描かれることにつながったものと思われる。

『400万企業が哭いている』が出版されたのをきっかけに、事件の中身について、自ら社会に対する発信を行うようになった佐藤氏を、「義家弁護士」が一方的に切り捨てたことで、「義家弁護士」、すなわち「大物弁護士」の「実像」が明らかになった。佐藤氏がそのような行動をとることがなければ、『400万企業が哭いている』に実名で書かれた「大物弁護士」が、手弁当で特捜部に立ち向かう正義の味方であることについて、誰も疑いすら抱かなかったはずだ。

この「実像」と「虚像」の違いは、「検察の正義」の象徴として絶大な信頼を得てきた東京地検特捜部のイメージが、実はマスコミに作られた「虚像」であったのと相通ずるものがある。

「普通の市民」が特捜検察に狙われ、踏み潰されそうになったとき、救いを求めるのは弁護人しかいない。特捜部の現場にも影響力がある検察OBの「大物弁護士」に依頼できたとなれば、それ以上心強いことはない。全幅の信頼を寄せるのも当然であろう。その「大物弁護士」が、実は「義家弁護士」のような存在であったとしたら、「普通の市民」はどこに救いを求めたらよいのか。

私は、『400万企業が哭いている』を読んで、特捜部が、中小企業の経営に懸命に取組む経営者と、使命感に燃えて中小企業の経営指導に当たっていた経営コンサルタントに捜査の「刃」を向け、踏み潰したことを知り、大きな衝撃を受けた。西松建設事件、陸山会事件などに関して特捜捜査を厳しく批判してきた私だったが、その力が及ばす、検察改革の動きの中で、失地回復を図った特捜部の常識はずれの捜査のために、佐藤氏・朝倉氏が犠牲になったことは痛恨の極みだった。

だからこそ、既に控訴審の第一回期日を直前に控えていた朝倉氏の弁護人を頼まれた際、迷うことなく引き受け、殆ど手弁当で、控訴審での主張や「朝倉亨さんを支援する会」の支援金による被害弁償を行い、上告審でも、上告受理申立理由書上告趣意書で、この事件の根本的な問題を必死に訴えた。それは、検察に23年間所属し、検察に育てられた人間として、その検察の犠牲になろうとしている朝倉氏、佐藤氏のために少しでも力になることが、自らの責務だと思ったからだ。

一方、佐藤氏の弁護人を務めた特捜OBの「大物弁護士」は、一体、どのような気持ちで、弁護を引き受けたのであろうか。特捜検察に踏み潰され、全幅の信頼を置き公判対応を全面的に委ねていた弁護人にも切り捨てられ、上告審に、最後の、一縷の望みを託す佐藤氏に対して、今、彼は、どのように思っているのであろうか。

佐藤氏が著書『粉飾 特捜に狙われた元銀行員の告白』に込めた心からの叫びを、少しでも多くの方々に受け止めてもらいたい。そして、それが、さらに大きな支援の動きにつながることを祈りたい。

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佐藤真言氏の著書『粉飾』で明らかになった「特捜OB大物弁護士」の正体 への2件のフィードバック

  1. 村岡政行 より:

    国家権力に対する戦いは、勝ち目はほとんど無いだろうけれども、戦いとは勝つことが目的ではないと思います。戦うことが絶対的に必要だから戦うのだと思います。

  2. 木村 清次 より:

    如何に、自らの良心に従って恥じることなく戦うかがすべてです。そして、その戦いは結果に拘わらず、そのままで勝利です。ベルリンにある、プレッツェンゼー刑務所において、戦中、ヒットラーに対する多くの抵抗者がつるされました。つるされたその姿そのままが勝利の姿です。その姿を思い浮かべ、さらに決意を新たにしました。

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