原発問題をめぐり交錯する議論の座標軸

12月4日公示、16日投票の今回の総選挙に向けて、原発問題が最大の争点になることが必至の状況の中、各党の原発に対する政策・議論が揺れ動いている。

橋下徹大阪市長が率いてきた「日本維新の会」は、当初は「脱原発」を明確に打ち出していたが、都知事を突如辞任した石原慎太郎氏の「太陽の党」と合流したことでトーンダウン、「先進国をリードする脱原発依存体制の構築・原発政策のメカニズム ・ ルールを変える=ルールの厳格化」という方向に変わった。政策実例の中に「結果的に2030年代までに原発はフェードアウトすることになる」という文言を残したことをめぐっても、石原氏との対立が表面化するなど混乱が生じている。

既成政党の中では、「2030年代の脱原発」の閣議決定をめざしていた政権与党の民主党は、明確な閣議決定を見送り、「革新的エネルギー・環境戦略を踏まえて、関係自治体や国際社会などと責任ある議論を行い、国民の理解を得つつ、柔軟性を持って不断の検証と見直しを行いながら遂行する」という閣議決定にとどまった。

一方、かつて長期政権で原発推進を一貫して続けてきた自民党は、「原子力の安全に関しては、『安全第一』の原則のもと、独立した規制員会による専門的判断をいかなる事情よりも優先します。原発の再稼働の可否については、順次判断し、全ての原発について3年以内の結論を目指します。」と基本的に原発維持の方針を堅持している。一方、共産党、社民党は、「原発を再稼働せず、即時廃止」の方針を掲げている。

こうした中、嘉田由紀子滋賀県知事が、10年後の原発廃止をめざす「卒原発」を政策の中心に据えた「日本未来の党」を結党し、小沢一郎氏が代表を務める「国民の生活が第一」、亀井静香・山田正彦氏らによる「減税日本・反TPP・脱原発を実現する党」、河村たかし名古屋市長が代表を務める「減税日本」などの政党が合流し、にわかに日本維新の会と並び「第三極」の中で注目される存在となった。

しかし、現状を見る限り、総選挙に向けての原発をめぐる議論が、十分にかみ合っているとかと言うと、決してそうとは思えない。

これまでの議論は、「再稼働を容認するか否か」、「脱原発を認めるか否か」についての二分法的な評価に終始し、また、政党の側も、選挙での勝敗への影響ばかりを意識し、原発に関する根本的な議論を敢えて避けているように思える。

原発問題に関しては、これまでは、現在福島原発事故によって殆どが停止している全国の原発の再稼働を認めるか否かに関して、個々の原発の安全性と、短期的な電力需給に関わる問題ばかりが議論されてきた。

しかし、国政選挙の政策として争われるべき原発をめぐる議論は、決してそのような表面的なものにはとどまらない。原発問題は、文化的・社会的要因、経済システム的要因、軍事外交的要因など、まさに国家や社会の問題に関わる根本的な要因が複雑に絡み合っている。原発に関する各党の政策を判断・評価するためには、原発問題に関する根本的要因と関連づけて、原発の是非に関する基本的視点と実質的な理由が論じられなければならない。そのような議論をなおざりにしたまま、再稼働の是非と「脱原発」の標榜の有無という、2つの論点のみを表面的に取り上げていることが、この問題をめぐる議論を混乱させているように思える。

福島原発事故という重大な原発事故を経験した我々日本人が、当面の原発再稼働や将来的な原発への依存の是非という、総選挙の争点としての原発問題について、賢明な選択を行っていくためには、原発に関する積極論、消極論の論拠を的確に整理し、議論を客観化していくことが必要であろう。

原発肯定否定の理由(ABC左右)

原発消極論の論拠

まず、原発への消極論、原発の再稼働に反対し、原発を廃止すべきとする方向の意見について見てみよう。何と言っても、現時点での最大の理由とされているのは、「原発の危険性」[A]の問題である。

福島原発事故という悲惨な原発災害を経験したことを受けての議論であるだけに、原発事故の危険性の観点が原発への消極論の最大の理由となるのは当然である。危険性を理由とする消極論の中で中心となってきたのは、福島原発事故を踏まえた個別の原発の危険性の指摘[A―①]である。地震によって引き起こされる重大な原発事故のリスクに関して活断層の有無などが問題とされ、一方で、原発事故に対する備えとして、福島原発事故で問題となった防潮堤の高さ、非常用電源の装備、事故対応に重要な機能を果たした「免震重要棟」の存否などが問題とされるが、このような問題がクリアされさえすれば、将来的にも原発を維持してよいということにはならない。

原発の危険性という観点から、より根本的なのは、地震国日本に原発が存在すること自体が危険だという理由[A―②]である。そのような視点からの原発に対する慎重論、反対論は、かねてから存在していた。その観点の原発消極論からみると、福島原発事故は、まさに、地震国日本における原発の本質的な危険性が現実化したものと捉えられることになる。

次に、原発の稼働・活用に関して重要な要因として指摘できるのが、原発を所有し、運営する主体の「電力会社の問題」[B]である。

原発の稼働は、電力会社の経営問題と密接に関連する問題である。原発の停止は、火力発電の燃料費を増大させ、電力会社の経営に大きな打撃を与える。電力会社側にとって原発の再稼働を求める最大の理由はその点にあるのであるが、そのことは、表面的には理由とされない。地域独占、発送電の一体的運用によって競争から守られてきた公益企業としての電力会社に対する潜在的な批判に火を付けることになりかねないからである。むしろ、電力会社が経営上の理由によって原発を稼働させ、維持しようとしていることは、逆に、そのような電力会社の利益保護のために原発を稼働させることへの抵抗感につながっている。それは、電力会社の経営問題が、原発消極論の実質的な根拠になっているともいえる[B-①]。

そして、さらに根本的な問題として、発送電を一体的に管理運営してきた電力会社のこれまでの経営姿勢が、原発の存在を前提とする電力の大量供給・大量消費の体制を構築維持することにつながってきたとの見方がある。それが、電力会社をめぐる競争構造を発送電分離の方向に抜本的に改革すれば原発依存から脱却できるとする議論[B-②]につながり、消極論と密接な関連を持つことになる。

もう一つの重要な原発消極論の論拠は、環境破壊の視点[C]である。その中心にあるのは、福島原発事故で現実化したように、原発が重大事故を起こした場合、放射性物質を拡散させ、甚大な環境汚染につながること[C-①]である。そして、より根本的な問題として、使用済み核燃料の処理が困難であることから、原発の活用を続けることは、地球史的レベルの環境破壊につながることを問題にする視点[C-②]がある。

もともと、環境破壊を問題視する視点は、原発の絶対安全の神話が定着する中で、福島原発事故以前は、原発を資本主義の下での経済成長優先の考え方の象徴とみなす反資本主義的イデオロギー[C-③]と結びつけて見られることが多く、それが、原発反対派を異端視する見方にもつながっていた。福島原発事故によって放射能汚染が現実化したことで、原発と環境保護の関係についての世の中の見方は大きく変わったが、それは、ただちに、イデオロギー的な原発反対論につながるかといえば、必ずしもそうではない。

原発積極論の論拠

一方の、原発の再稼働に賛成し、原発を廃止すべきではないとする原発への積極論の論拠について見てみよう。

まず、原発再稼働の最大の理由とされてきたのが、電力の逼迫の問題[X]である。今年の夏の大飯原発再稼働の理由とされたのも、再稼働を認めないと猛暑となった場合の電力使用のピーク時に大停電が起き、一時的にでも病院等への電力供給が停止すると、患者の命に直結するという話だった[X-①]。しかし、実際には、記録的な猛暑となった今年の夏でさえ、大飯原発が稼働しなかったとしても、電力不足による停電等は起きなかったとされている。

むしろ、電力の逼迫に関して需要なのは、中長期的な観点からの国家的なエネルギー需給の問題であろう。エネルギー資源を殆ど持たない日本の場合、万が一、国際情勢の変化によって他国から原油等のエネルギー源が調達できなくなった時には、国民生活に致命的な影響が生じることとなる。そのような事態への安全保障の観点から、最低限の原発を保有すべきという考え方[X-②]が出てくる。

次に、経済的な観点からは、原発が稼働できないことによって火力発電の燃料代が高騰し、電気料金が大幅に上昇すること[Y]が、原発の稼働や廃止を求める意見に対する反対論の重要な根拠とされている。

この電気料金に関する視点も二つに大別できる、一つは短期的かつミクロな問題であり、電気料金の上昇が電力使用量の多い中小企業の経営に大きな打撃を与える[Y-①]という点が中心である。もう一つは、エネルギーコストの上昇が経済成長を抑制するというマクロの問題[Y-②]である。

もう一つ、現在の原発をめぐる議論の中で表面化することは少ないが、原発維持論の背景にある最も根源的な視点は、国家の外交・安全保障上の理由[Z]だと思われる。

まず、資源を持たない日本にとって、エネルギー源としての原発を保持しておくことのエネルギー外交戦略上のメリットを重視する考え方[Z-①]である。それから、被爆国であるとともに、戦争放棄を規定する憲法9条との関係で表立って口にされることは殆どないが、究極的な原発保持の理由として、核利用技術を自国に温存しておくことによる軍事上のメリット[Z-②]も考えられる。

要するに、国家として「強い日本」をめざす上で、原発の存在は大きな意義を持つことになるのである。

各論拠の相互関係

では、このような積極論、消極論の理由・根拠が、各政党の、実際の原発の再稼働の是非、原発廃止をめぐる議論の中で、どのように論じられているであろうか。

まず、これまで原発再稼働をめぐる議論の中で、主として消極論の理由とされてきたのは原発の危険性の問題であり、その中でも、実際に起きた福島原発事故との関連を強調しやすい [A-①]の個別の原発における具体的な危険性の指摘が中心であった。これに対して、積極論の理由とされてきたのは、基本的に電力需給の逼迫の問題であり、その中でも、弱者保護的な意味合いも持つ[X-①]の短期的な電力の逼迫による生命・身体の危険が強調された。

「原発の危険性」も「電力の逼迫による生命・身体の危険」も、それぞれ国民に分かりやすい話であり、しかも、それを100%否定することはできず、反論を受ける余地が小さいからであろう。

しかし、実際には、原発の廃止を求める意見には、上記のような理由・視点、が、それぞれ複雑に交錯しているのであり、決して単純な理由ではない。それらが必ずしも明確に整理して説明されないのは、根本的理由・論拠を明確に示すことが、政治的に、そして、選挙対策的に、必ずしもプラスにならないと考えられるからであろう。

原発積極論の立場から、[Z]の外交・安全保障上の理由を持ち出すことは、外交という政策判断に絡む問題であるだけに微妙な面がある。とりわけ、[Z-②]の核武装との関連性を口にすることは、被爆国であり、なおかつ、福島原発事故という未曾有の原発災害を経験した我が国においては「タブー」と言っても良いであろう。このような原発積極論は、いかなる理由の脱原発論とも、根本的なところで相容れないのは当然だ。

一方、原発消極派の側においても、[C]のような抽象的な論拠を持ち出すことは、「理屈抜きの反原発論」と受け取られ、反発を招く恐れもある。特に、反資本主義的イデオロギーによる[C-③]はなおさらである。そのため、[C]の論拠に基づく意見においても現実的な政策論として、[A]、あるいは[B]の論拠の方が重視される傾向がある。

上記のような原発に関する積極論、消極論の論拠の整理に基づいて、各政党の原発に関する政策を比較することで、議論を客観化できるのではなかろうか。

 

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原発問題をめぐり交錯する議論の座標軸 への3件のフィードバック

  1. 郷原信郎様
     ウェブサイト「ろんじんネット」http://ronzine.net/ です。
    貴ブログを勝手ながらご紹介させていただいておりますのでご挨拶に参りました。
    弊サイトは、政治、経済、社会に関する読み応えのあるブログを紹介し
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    ブログの発展を微力ながら後押しできるのではないかと考えております。
    突然の、記事内容に無関係のコメント失礼致しました。
    郷原信郎様の益々のご活躍を心よりお祈り申し上げます。

  2. クンチ より:

    原発に関して様々な意見がありますが、原発必要論又は不要論の中で、あまり議論されていない問題として、地震の危険性よりも、国内テロもしくは国外からのミサイル等による原子力発電所破壊のほうが、より問題なのではないでしょうか。この点に関しては各政党とも意見がないように思うのですが、日本国の原発防御態勢はどうなのでしょうか。この問題を無視して原発の必要性等を論議すること自体が平和ボケとしか思えないのですが、いかがでしょうか。

  3. taga haruo より:

    結論は原発不可。原子力は発電であれ爆弾であれ人間が扱える代ではない。使用済み燃料棒の対応も知る人ない。人間は原子力なしで生きれる。

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