特捜検察が「普通の市民」に牙をむくとき

 本ブログ記事【「正義を失った検察」の脅威にさらされる「400万中小企業」】で紹介した、中小企業経営者の朝倉亨氏と経営コンサルタントの佐藤真言氏の二人とお会いし、じっくり話をした。
政治権力者でも、著名な企業経営者でもない、普通の市民の二人は、特捜捜査に情け容赦なく踏み潰され、粉飾決算書を提出して金融機関から融資を受けたという詐欺で実刑判決を受け、裁判は継続中だ。
 佐藤氏は、「刑務所に入ることになっても、出てきて10年たったら法曹資格がとれると聞いています。自分のような目に遭わされる人が出ないように、弁護士になりたい」と考え、法科大学院の入学試験を受け合格した。検察の不当な捜査、起訴によって、実刑判決を受けるという自らの厳しい境遇を感じさせないほど、本当に前向きだ。
 一方の朝倉氏、懸命に経営してきたアパレル会社は、社長が検察に逮捕されたことで、一瞬のうちに破産した。従業員は路頭に迷い、取引先の連鎖倒産まで生じさせた。それは検察の理不尽な捜査の結果なのだが、朝倉氏は、そのことで自分を責める。裁判が終わった後は、刑務所に入ることしか考えられないという。朝倉氏は、毎日運送会社の夜勤を務め、自分の体をも責めつづける。
どうして彼らが、このような境遇にさらされなければならないのか。「検察の正義」、「刑事司法の正義」は、どこにあるのか。

 30年前検事に任官した時、私にとって東京地検特捜部は憧れの的であった。
検事になった以上は、特捜部で活躍したい。経済事件、政界汚職事件の捜査の最前線で働き、自分の能力を活かしたい、ということを強く願っていた。しかし、私は特捜部への応援という形で捜査に関わる中で、特捜部という組織が、私が期待していたものとは、凡そかけ離れたものであることを思い知らされた。私は、特捜部という組織が持つ暴力性、それが普通の市民に向けられた時、いかに理不尽で、非道なことになるのかを、自分自身が特捜部での検察官の勤務の中で体験したのである。
 その一つが「検察の正義」(ちくま新書)の中でも紹介したある証券担保ローンをめぐる背任事件だった。その事件では、特捜部が経済社会の実態にあまりに無知であるために、誤った捜査を行い、そして、そこで歯止めが効かずに無理をした時に、普通の市民に対して大きな脅威を与える、ということを知った。そういった面で、今回の朝倉氏、佐藤氏の事件と共通性がある。

 その事件は、まさにバブル経済の真っ直中、株式売買への国民の関心が高まる中で、買い付けた株式を担保にしてノンバンクから融資を受けて、さらに株式売買を行う資金にするというやり方で、大規模な株式売買を行っていた男Aが、投資に失敗して巨額の損失を出した。その男に対するノンバンク側からの融資には、社内規定どおりの担保を十分にとっていないものが多数あり、ノンバンクの担当者が背任罪、融資を受けて株式売買を行っていた側が、背任罪の共犯に問われたものだった。
 背任事件だったが、主たるターゲットとされていたのは、融資した側ではなく、融資を受けた側の投資家のAだった。ノンバンクの内規に違反しているとわかった上で多額の融資を受けたことが、背任の共犯にあたるということで捜査を進めていたが、少しでも多くの資金がほしい投資家側としては、ノンバンク側が融資してくれるというのであれば、ノンバンク内部の手続きがどうであれ、有り難く融資を受けるのは当然であろう。担当者に金品や利益を提供して内規違反をさせた、ということでもない限り、刑事責任を問う必要のある事件とは思えない。
 また、ノンバンク側が証券担保ローンで融資を実行する場合に、どの程度の担保をとるか、ということも、大口の融資であれば、投資家の投資歴、投資成績や全体的な資金状況などを考慮して判断をすべきであろうし、形式的な内規通りにやっていれば良いという話ではないであろう。
 そう考えると、その事件には、そもそも犯罪が成立するのかどうか、という点に相当問題があるように思えた。しかし、Aを含む被疑者の逮捕という捜査方針は確定していた。下っ端の応援検事が口を出せるようなことではなかった。
 
 この証券担保ローンの背任事件に関しては、不正融資とされる証券担保ローンの実行の時点で、融資先の投資家の株式損益がどのような状況だったかが重要な事実だったはずだ。全体として利益が出ているのであれば、ある程度、担保評価を緩めて、融資額を増額することも、あながち不合理な判断とは言えない。しかし、特捜部の捜査では、その点についての客観的な証拠は殆どなかった。単に、供述だけで、「Aは株で大損をしていた」と決め付けられた。
私は、その頃、まだあまり普及していなかった「表計算ソフト」を活用して、頻繁に株式売買を繰り返している投資家の損益を逐次計算できるマクロプログラムを完成させ、背任事件の共犯とされている投資家の損益状況を調べてみた。すると、背任融資とされている融資の実行の時点の大半で、トータルでは十分に利益が出ており、大幅な損失は、投資の最後の時点で特定の銘柄が膨大な損失となったため、それでトータルの損益が大幅なマイナスになったものだということがわかった。
そうして判明した事実を、思い切って、主任検事、副部長に報告してみた。しかし、「関係者が全員、Aはずっと株で損をしていたと言っているじゃないか。お前のパソコンはおかしいんじゃないか。」と一笑に付されてしまった。
それから間もなく、Aは逃亡し、所在をくらましてしまった。それ以降、事実関係を詰める捜査は棚上げにされ、Aの所在を突き止めるための捜査一色になった。
株式売買に手を出し、証券担保金融で投資額が拡大、会社を辞めてプロの投資家のようになっていたが、もともとは一流大学卒の大企業のエリート社員だったAには、特捜部のに逮捕されるプレッシャーが耐え難かったのであろう。
 こうして捜査対象の被疑者が所在不明になってしまうと、検察独自捜査にとっては、非常に苦しい事態になる。全国の都道府県警に指名手配をして協力を求めることができる警察とは違い、検察は所在不明になった被疑者の行方を追うことには制約がある。
しかし、被疑者の逮捕、本格的捜査が予定され、応援検事まで確保している場合に、捜査をあまり先延ばしすることはできない。つのる焦燥感の中で、そのときの主任検事が命じたのは、所在不明となったAの家族・親類縁者を片っ端から呼び出して、「かくまっているのではないか」と疑って、徹底的にいじめるというやり方だった。それを徹底していけば、そのプレッシャーを受けた家族、親類縁者が、積極的に心当たりに連絡することで、どこかでAの所在が明らかになって、通報してくるのではないか、という作戦だった。
 確かに、それは、検察として取り得る手段の中では有効なものなのかも知れない。しかし、Aは、殺人犯のように、本当に草の根分けても探し出さなくてはならないような犯罪者ではない。要するに、その所在を明らかにしないといけないというのは、「検察の都合」に過ぎないのだ。私も、その「家族、親類縁者いじめ」の取調べに駆り出された。上司の指示・命令を受けてやらされる仕事の中で、これほど気の進まないことはなかった。

 ある日、主任検事から、所在不明のAの従弟のB氏を呼び出して取り調べるようにとの指示を受けた。「前日にX検事(私の同期)が呼び出しの電話をかけたが、どうしても都合が悪いと言って来なかった奴だ。何か隠しているから来たくないんだろう。徹底して締め上げろ」という指示だった。
私が電話をかけたところ、Aの従弟のB氏が出た。私は、東京地検特捜部の検事であることを告げ、「Aさんのことでお伺いしたいことがあるので、明日、東京地検まで来てもらえませんか」と言うと、「Aとはもう何年も会っていません。何も知りません。どうしても行かなければいけませんか。」と言ってきた。「それでも、どうしても直接お伺いしたいことがあるのです。」と言うと、「では、行きます。」と言ってくれた。
翌日の朝、霞ヶ関の東京地検に出向いてきたB氏は、私の「取調べ」が始まるなり、淡々と話し始めた。
「一昨日の夜も、X検事から電話があって、明日東京地検に来てくれと言われました。私が、仕事があって無理ですと言うと、『お前はAの行き先を知っているだろう。嘘をついてもわかる。隠しているから調べに応じたくないんだろう。隠したりしていると捕まえるぞ。』とさんざん脅されました。ちょうど、我が家では、子供にいろいろ大変なことがあって、とても深刻な家族会議をしていた最中でした。中学生の息子がイジメで登校拒否をしています。それに加えて、一昨日、小学生の息子が、重い心臓病だということがわかって、私たち家族はどうしたら良いんだろうと、目の前が真っ暗になって、そこに、夜の10時過ぎにX検事から電話があったのです。どうしても都合が悪いからと言って、東京地検に行くのは一日待ってもらいました。そこで、昨日、また電話がかかってきた。それが、検事さんからでした。私が検察庁に呼び出されたということで、今朝出てくるときに、女房が取り乱していて、私が逮捕されるんではないかと心配で頭がおかしくなりそうだと言っていました。」
私が、その話を聞いて驚き、黙っていると、B氏はさらに言葉を続けた。
「私は、市役所の職員として、20年余り仕事をしてきました。人から後ろ指を指されるようなことをしたことはありません。もし、私がAのことで何か知っていたら、すべてお話しします。でも、何も知りません。生意気なことを言うようですが、私も、少しばかりですが国にも市にも税金を納めている市民です。どうしてこういう目に遭わされなければならないんでしょうか。」
私は、このときほど、恥ずかしく惨めな思いをしたことはなかった。自分がやっていることは人間のやることではないと思った。
 私は、すぐに、B氏の自宅に電話をかけて、B氏の妻と話をした。「何も心配することはありません。ご主人に何か疑いがかかっているということではありません。こちらの都合で、どうしても今日、一日、こちらにいてもらわないといけないのですが、まったく心配は要りませんから安心してください。今日の夜にはお返しします。今日だけで、明日以降は来てもらうこともありません」
そして、B氏には「あなたから聞くことは何もありません。でも、どうしても、我々の組織の内部的な問題で、今日一日、この建物にいてもらわなければならないんです。待合室で待っていてください。時折、部屋に入ってもらいます。夜には帰ってもらいますから。」
 私は、昼と夕方に、主任検事に取調べの状況を報告した。
「しぶとい奴です。さっきからガンガンやってるんですが、何も話しません。本当に何も知らないのかも知れませんが、もう少し頑張ってみます」と真っ赤な嘘をついた。
主任検事に評価してもらおうなどという気持がまったくなかったことは言うまでもない。私が恐れたのは、私の「取調べ」が生ぬるいという理由で、B氏の「取調べ」がX検事に担当替えになることだった。とにかく、一日で終わらせなければならない。そのためには手段を選んでいる場合ではなかった。
 その日のことは、私にとって衝撃だった。この特捜部での応援勤務の経験によって、それまで、ある種の「憧れ」を持っていた特捜部という組織の権力が、使い方によっては市民に対する恐ろしい暴力になりかねないことを実感した。
 
 私は、この事件をきっかけに特捜部という組織に幻滅し、やがて訣別した。その後、地方の検察庁で独自の検察捜査の手法を切り開いていこうとしたが(前出「検察の正義」の最終章「長崎の奇跡」参照)、それも、検察の組織として受け入れるところとはならず、結局、検察組織から離れた。そして、その後、検察の外から、特捜捜査を中心に検察を厳しく批判し続けてきた。
 大阪地検不祥事以降、社会から厳しい批判を受けている検察が、検察改革の最中に手掛けた捜査が、今回の朝倉氏と佐藤氏の「詐欺事件」である。それは、私が検察にいて経験した、そして、これだけは絶対に許すことができないと考えた「検察の市民への暴力」そのものである。
 彼らを検察の暴力から救い出すために、私として精一杯のことをしたいと考えている。今回の事件に、関心を持つ方々、特捜捜査の理不尽さに憤りを覚える方々、今後の裁判の展開に注目して頂きたい。

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弁護士
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特捜検察が「普通の市民」に牙をむくとき への9件のフィードバック

  1. F.Y より:

    やっと捜査機関による人権侵害が社会の明るみに出てきたか…という思いで拝読致しました。16日は八重洲ブックセンターにお伺いします。私も捜査機関による虚偽告訴により人生を狂わされた一人です。冤罪事件に関心のある方とお会いできれば嬉しいです。

  2. 「市民の正義」のために戦い、紙おむつ不法投棄容疑の現行犯で逮捕され、マスメディアによって一方的に報道された者として、良識ある地方検事によって不起訴となった事は、極めて幸運だったのかもしれません。
    しかし、権力内部の自浄作用を促さない限り、義を正すことにはならないと思います。
    共に声を上げてゆきたいと思います。

  3. 中園房夫 より:

    郷原さん、
    貴殿の著作を何冊かアマゾンで取り寄せたり,ブロッグを読んで検察問題の理解を深めさせて頂いています。新著は来日した時に是非入手致します。
    さて、検察の正義に関してかなり長い投稿を致しますが,お読み頂ければ幸甚です。
    検察の正義が議論されていますが,市民の基本的人権の尊重を基盤とする民主主義国では日本の「検察の正義」と言う概念が受け入れられるのでしょうか?

    民主主義国家で議論される正義とは市民の人間としての基本的人権を擁護し,各個人の持つ能力を最大限に発揮出来る社会、政治組織を構築することと思います。
    貴殿が著書やブロッグで述べられている、検察の正義と言う概念は、封建制度時代にお上が下々どもを統治し秩序を維持する為にお上にとって最も適した概念だと思います。正義の適用はお上の独占事項。罪を犯したとして泥縄をかけ白州に引出すか否かはお上の独断的状況判断のみで客観的な判断は不必要。泥縄を掛けられるのは疑いもなく悪人であり、どのように裁くかは慈悲深き代官様次第。引出された罪人が素直に自白し,後悔の念にかられるならば情状酌量の余地ありと聞くも涙の思いやり。無実を主張でもしようものなら、東山の金さん宜しく,片肌を脱いで入れ墨をみせて,高飛車に叱咤。解らなきゃ解るまで牢屋いり。
    その時代のお上の正義と現在の検察の正義は同じ概念に基ついていませんか?
    検察の「起訴独占主義」、「起訴便宜主義」を使っての「刑事司法の正義」はその時代の民を治める意識の継続ではないでしょうか。
    「日本の刑事司法自体が、検察官中心主義,法廷での審議より、検察官の取り調べで真実が明らかになる」と勝手な主張をしているのです。

    検察は正義という考えは市民の基本人権を完全に無視した一方的なお上が統治する為の守りの封建時代の概念でしか有りません。
    郷原さんの著書 検察が危ない 第5章 検察革命 には検察の「伝統的機能」と「社会的機能」の説明の中で」市民を(A)(B)とブロックに分けられグループへの検察の対応を書かれています。
    即ち
    (A) 伝統的機能:社会の底辺で、犯罪者という社会からの逸脱者の行為を事後的に処理する事であり,検察の判断が破壊的経済的に大きな影響を与える事は殆どなかった。
    (B) 社会的機能: 政治家、高級官僚、経済人,企業人等社会の中心部で活躍する人間摘発の対象とされ、社会生活や経済活動に対して重大な影響を与える。
    社会のどの位置に属した者でも人間としての市民としての基本人権は同じです。
    犯罪容疑者を社会からの逸脱者と位置つけ、「過去の問題としてかたずける」この態度は基本人権を無視した検察の取り調べ、自白強要は冤罪を生み出す等の問題以上に基本的人権の無視を普通と見なす体制をつくりあげ、あげくには民主主義そのものを踏みにじる体制に転換していく。彼らの人権を徹底的に擁護する態度こそが社会的、政治的に地位ある人達への検察の非民主主義的行為で社会を混乱させる動きを未然に防げる基盤となると思います。
    拘留を数ヶ月,更には一年以上も裁判にもかけず容疑者を拘留するのは基本的人権の完全なる無視以外何者でもない。テロリスト容疑で裁判にも掛けずキューバのグアンタナモ米軍基地や民主主義体制を無視する国々で長期間拘留するのと同じです。
    己が正義を決める概念に固執する体制の下に成り立っている検察,更には司法制度が彼らの手で革命的変革は出来ないと観るのが常識でしょう。

    「革命的変革」は現在の正義を独占する非民主主義理念を基とする下剤の司法検察組織内では出来ません。出来るのは現状維持をベースとする方法的改善のみで問題を一時的に覆い隠すだけです。必ず将来同じ事が起こります。
    過去とにしがらみを徹底的に払拭させて、 基本人権を尊重する民主主義の下に世界の基準にそった司法と検察を創造すべきです。

    世界人権委員会にでも提訴して,外からの圧力で政府指導の基本的改革へと進める等も考えられますが既存の世界人権委員会の組織では加盟国への勧告等は出来ないでしょう。
    欧州人権委員会は各加盟国に勧告したり、欧州裁判所の判決が加盟国の裁判の判決に影響を与えています。
    欧州人権委員会の役割,各国の司法制度の比較等で問題点を明確にさせていくのも方法ではないでしょうか。

    弁護士の使命は 「基本的人権を擁護し、社会正義を実現することを使命とする」と有りますが,検察且つ司法のに従事する者の使命も同じです。

  4. 樋口重喜 より:

     「健全な法治国家のために声をあげる市民の会」の1会員で、八木会長と共に告発・申し立て(検察審査会)等に応援同行している者です。郷原先生のご著書や動画でのお話も数多く拝見、拝聴しております。
     その中でも本記事には、心から感動しました。勿論「検察の市民への暴力」には、強い怒りが込み上げてきます。「市民の会」での活動同様、「検察・特捜許しがたし!」の心境です。
     一方、本記事を読み終えて、まるで藤沢修平の短編を1本読んだ後のような、体中が暖かいものに包まれた不思議な感覚が残っています。「検察の正義」もさることながら、これぞ「人間の正義」を見た思いです。
     公私ご多忙とは存じますが、どうかこれからも、健全な法治国家のために難しい法律運用の解説や市民・国民が直面する難しい社会的問題の、本質的分析から「正義への道標」を是非お示しご教授くださいますようお願い申し上げます。
     わたしたち市民も国家の主権者として、先生のご著書やお話をとおして深い洞察力と責任力をもった自立した市民・国民になれるよう努力したいと思います。
     お身体ご自愛の上、益々のご活躍を心からお祈り申しあげます。

  5. 中園房夫 より:

    すみません。タイプミス一つ。現在とタイプする代わりに下痢と書きました。御勘弁のほど。

  6. より:

    郷原先生はじめまして、この詐欺事件に関わる家族の一人です
    記事にしていただき心から感謝しています
    昨年の逮捕から一年がすぎ「四〇〇万企業が哭いている」という本が出版されました
    読んでいただいた皆様から賛否両論あることは承知しております
    しかし皆様の目に触れ少しでも多くの方にこの事件の背景をご理解いただけたらと願うばかりです

    普通に暮らしていた生活が一変しました
    年の瀬に築地市場の卵焼きを買う事が我が家の楽しみでしたが
    昨年からは、このような楽しみ全てが大きな権力に消されてしまいました
    正義とは、、、答えがでてきません

    どうか、皆様に事件の真実が伝わりますことを願います

    • nobuogohara より:

      私が批判し続けてきた特捜検察が、その解体的出直しどころか、普通の市民をも踏みつぶすような、更に恐ろしい組織になってしまったことに、私自身の力不足、努力不足を痛感しています。今回の事件に対して私にできることは、可能な限りやりたいと思っています。当面は、明後日に第一回期日が迫っている朝倉さんの公判のために、弁護人として加わって、全力投球することです。朝倉さんの控訴審の判断で、裁判所が、検察の主張やこれまでの裁判所の認定と異なった見方をしてくれれば、それが佐藤さんの上告審にも影響を与えると考えられます。私が弁護人に加わる前に、控訴趣意書は既に提出されていますが、その補充書の作成に、今、懸命に取り組んでいます。

  7. 中園房夫 より:

    郷原さんが、己の強い信念と使命感にもとついて社会正義の為に具体的に直接行動されているのは素晴らしい。より多くの市民が啓蒙し啓蒙され、、市民として責任と義務を強く意識し、行動に移していけば真の民主主義を確立出来る最後と思われる現在の歴史的変換期の真っただか中で各々の歴史的役割を演じるのではないかと願っている。
    多くの方が既に行動されているのをインターネットで読み、見ていますと日本は動き出したと実感し始めています。

  8. 壁際珍事 より:

    はじめまして。
    本当に、検察というのはスゴイ組織ですね。よく教員が世間知らずと言われますが、検察もそうなんでしょう。一人ひとりは、もともと正義感に燃えた一年生だったはず。それが組織で過ごすうち、変わっていく。もう精神論でなんとかなる問題でないでしょう。システムを変えるのがいいと思います。手っ取り早く、確実なのは、現場の若手検事の、上層部への内部通報制度だと思います。上層部というのも、検事総長など内部者でなく、総理大臣とか法務大臣とか。
    無理筋にしがみつく検事には、君子豹変す、という言葉を贈りたいです。

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