尖閣不法上陸への弱腰対応も、「検察崩壊」の病弊

 沖縄県警は、香港の活動家らによる沖縄県・尖閣諸島上陸事件で、出入国管理及び難民法(以下、「入管難民法」)違反(不法入国)で逮捕した中国人5人を、検察庁に送致せず、入管当局に引き渡した。
 8月18日付産経新聞は『松原仁国家公安委員長は17日の関係閣僚会議で、「わが国の領土、主権を侵害する目的での不法入国は通常より重く罰するべきで、そうした法整備を検討すべきだ」と述べ、領域警備の法整備を急ぐ必要性を強調した』と報じている。
 確かに、主権を侵害する目的での不法入国を厳しく処罰するための法整備の必要はあるだろう。しかし、同じ不法入国でも、その動機・目的等によって犯罪の情状は大きく異なるのであり、今回の事案に対する刑事処分に当たっても、それを考慮して、法定刑の範囲内で厳しく罰することのは、刑事処分の在り方としては当然である。法整備の必要性があることと、現行法の下で、国家の主権を侵害する犯罪行為に対して厳正な刑事処分を行わかった理由とは全く別個の問題である。
 今回の入管引渡し措置は、入管難民認定法65条の「他に罪を犯した嫌疑のないときに限り、・・・書類及び証拠物とともに、当該被疑者を入国警備官に引き渡すことができる。」と規定によって行われたものであるが、この規定の趣旨は、不法就労を目的とする不法入国や不法滞在などのような単純な事案は、そもそも国内に在留する資格がないのであるから、国内法で処罰するより、早急に国外に退去させて、違法状態を解消する方が、入管難民法の趣旨に沿うとの考え方で、そのような場合に「入管引渡しができる」としているものである。日本国の領土や主権を侵害する目的で、我が国の海上保安部の巡視船の制止を振り切って、強引に日本領土内に侵入したような事案に適用されるべき規定ではない。

 今回のような確信犯的な不法上陸事案は、刑事事件としての評価・判断からすれば、極めて悪質な刑事事件として、当然、逮捕・勾留して起訴すべきだ。それを行わなわず、入管引渡しの上、国外退去という措置をとるとすれば、日中関係を考慮した「外交上の判断」によるものとしか考えられない。
 憂慮すべきことは、今回の措置が、入管難民法の規定に基づく「刑事事件としての当然の措置」のように説明されていることだ。もし、この種の主権、領土の侵害事件に対して厳正な刑事処分を行わないという判断が、「法律上、司法上の当然の判断」とされるのであれが、もはや、我が国は、国家としての体をなしていないと言わざるを得ない。
 なぜこのような弱腰の措置がとられたのか。 その背景には、刑事司法機関としての厳正な対応と外交上の適切な判断・対応を両立させるスキームが、現在の日本では全く機能していない実情がある。その原因となっているのが、不祥事が相次ぎ、信頼を失墜し、重要事項についての主体的判断すら困難になっている検察の現状である。

今回のような国家の領土、主権を侵害する不法上陸事案に対して、国家として、厳正な刑事処分を含む適切な対応を行うために重要なことが二つある。
 一つは、厳正な刑事処分に向けての刑事司法機関としての万全の対応である。そのためには、まず、不法上陸を水際で阻止する活動を行う警察、海上保安部等の第一次捜査機関が、犯罪の立証のための十分な証拠収集を行うことが必要であるが、犯人の身柄の拘束及びその継続の必要性の判断を含め、事案の重大性・悪質性に応じた刑事処分に向けての対応を総括するのが検察である。
 そして、もう一つ重要なことは、内閣として、適切な外交上の判断を行い、それに基づいて、最終的な刑事処分を決定することである。この種の事案に対しては、、国家としての主権を守るとともに、他国との適切な外交関係を維持するための判断が求められる。これは、刑事司法機関の所管外の事項であり、内閣として責任ある判断をすることが求められる。

 この種事案については、刑事事件として対応に、外交上の判断・対応を反映させる必要があり、そのために活用されるべきなのが、内閣の一員である法務大臣の検事総長に対する指揮権である。外交上の判断によって刑事事件としての対応を変更する必要があるときには、外務当局も含む内閣の判断に基づき、法務大臣が検事総長に対する指揮権を発動して、身柄拘束の継続等の刑事処分を決定する。検察は、外交上の判断が必要な事件であれば、逐一、法務大臣に「請訓」という形で、指示を仰ぐことにことになる。
  ところが、大阪地検の郵便不正事件をめぐる不祥事で検察への信頼が失墜していた2010年9月に起きた尖閣諸島沖での中国船の公務執行妨害事件で、そのような検察と内閣の関係を損なう重大な問題が発生した。
 中国船船長の釈放が決定されたた際の会見で、那覇地検次席検事が「最高検と協議の上」と述べた上で、「日中関係への配慮」が、釈放の理由の一つであることを明らかにした。すなわち、この事件での船長の釈放という検察の権限行使において、検察が組織として外交上の判断を行ったことを認めたのである。そして、このような検察が外交問題に配慮したかのような説明に対し、当時の仙谷官房長官は「了とする」と述べた。
 このような検察の対応が、検察独自の判断だとは考えられない。検察としては、厳正な刑事処分に向けての対応を粛々と進めていたはずだ。船長の釈放は当時の内閣の判断によるものであることは、誰の目にも明らかである。ところが、外交関係への配慮も含めて、すべて検察の責任において行ったように検察側が説明し、内閣官房長官がそれを容認する発言をした。それによって、検察の刑事事件の判断についての信頼が損なわれる一方、内閣が負うべき外交上の責任は覆い隠されてしまった。このような対応に、当時、大阪地検をめぐる重大な不祥事に揺れていた検察と、本来検察の人事権を握っている内閣との関係が大きく影響したことは想像に難くない。

 今回の不法上陸事件に対しては、刑事司法機関として、検察への送致、勾留、起訴という厳正な刑事処分に向けての対応を行う一方、内閣として外交上の判断によって、その刑事処分に向けての対応を変更する必要性について判断し、必要があれば、それを法務大臣指揮権の発動という形で、内閣の責任を明確にして実行することであった。 しかし、現在の内閣と検察の関係からすると、そのような対応が適切に行えるとは思えない。
 
 陸山会事件の捜査をめぐる虚偽捜査報告書による検察審査会の誘導の疑惑等に対して、検察は、6月末に不起訴処分と調査結果を明らかにし、「身内に大甘」な対応と、厳しい批判を浴びたばかりだ。しかも、その過程で、小川前法務大臣が「国民に納得できる処分」を求める指揮権発動を検討していたことを明らかにし、指揮権発動の在り方も話題になった。
 検察への国民の信頼は「崩壊」に近い状態にある現状の下では、検察が、刑事処分に対して法務大臣が指揮権で介入することに対しては、いかなる場合であっても避けたいという意向を持つことも、十分に考えられる。今回の不法上陸事件で、検察への送致が行われず、入管引渡しで済まされたことで、検察幹部は胸をなでおろしているのではなかろうか。内閣と検察の適切な関係と役割分担を維持するためには、検察が信頼できる健全な組織であることが不可欠だが、それとは程遠いのが検察の現状だ。

 このような状況が続けば、我が国は、領土と国民の安全を守るという主権国家としての最も基本的な機能すら失われてしまいかねない。その背景に、検察という国家の刑事司法作用の要であるべき組織に対する信頼が崩壊している現状がある。「検察崩壊」の病弊が、我々日本国民にとっていかに深刻なものか、再認識すべきであろう。

 

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