エネルギー意見聴取会問題と「やらせメール」問題

 エネルギー政策についての意見聴取会で、電力会社社員が原発を維持すべきだとの意見や、放射能によるリスクを過大評価すべきではないとの意見を述べた問題について、主催者側の政府や電力会社が厳しく批判されている。
 私も、毎日新聞から、九州電力「やらせメール」問題についての第三者委員会委員長を務めた立場からのコメントを求められ、昨日の朝刊に、「聴取会の趣旨が地域や一般住民から意見を聞く機会なのか、電力会社という当事者も含めた賛否を聞く機会なのか不明だった。政府は、意見を言う人の選考過程を事前にはっきりさせるべきだった。」とのコメントが掲載された。字数の制約で、私のコメントの中の一部だけが掲載されたものなので、この件についての私の見方を、少し詳しく述べておくこととしたい。

 まず、強調したいのは、今回の問題と、昨年の九電やらせメール問題とは「不透明性」という点で大きな違いがあり、これを同列に論じるべきではないということだ。
九電やらせメール問題について第三者委員会が指摘した問題の本質は、「原発をめぐる事業活動」「原発立地自治体首長との関係」の不透明性である。
 九電幹部と佐賀県知事とが、知事公舎で会談し、知事から玄海原発再稼働に関する説明番組への賛成投稿を要請する趣旨の発言を行い、それを受けて、多数の九電社員、グループ企業社員、取引先などが再稼働への賛成のメール投稿を行う、ということが、番組視聴者にも、地域住民にも全く知らされることなく行われた。そのような形で、玄海原発再稼働賛成の世論を形成しようとした、というものである。
 そのような不透明なやり方は、福島原発事故前の日本社会で、国、自治体、電力会社が一体となって「原発絶対安全神話」の下での、国策としての原発推進を行っていた状況においては、それ程反社会的なことではなかった。しかし、福島原発事故によって国民の多くが「制御不能になる施設の恐ろしさ」を目の当たりにしたことで「絶対安全神話」が崩壊し、原発を運営する電力会社と、万が一の事態に適切に対応すべき電力会社組織の信頼性について公正な判断を行うべき国、自治体とは、明確に切り離された存在でなければならなくなった。従前のような電力会社側の不透明な世論誘導的なやり方、原発立地自治体の首長と電力会社との不透明なやり方は絶対に許されない。そのような不透明性が、九電「やらせメール」問題の本質であるが、九電トップは第三者委員会の問題の本質の指摘を全く受け入れず、佐賀県知事を庇い続けてきたため、社会から厳しい批判を受け、最終的には、会長、社長が辞任に追い込まれることになった。
 一方、今回の意見聴取会での発言は、電力会社の社員であることを自ら明らかにした上で発言したものであり、電力会社側の行動に関して「不透明性」という問題はない。九電「やらせメール」問題という福島原発事故後の電力会社にとっての重大な不祥事の教訓を希薄化させないためにも、まず、この点を明確に認識する必要がある。

 では、今回の意見聴取会で電力会社社員が発言したことには問題はないのか。決してそうではない。私は、今回はむしろ、主催者側の政府、経産省資源エネルギー庁の側の問題だと考えている。
 討論参加者には事前にアンケートが行われたということなので、主催者側が、意見の内容や所属を把握した上で発言者として選定したことは間違いないであろう。しかし、「電源構成を含む望ましいエネルギーミックスのあり方を始めとした革新的エネルギー・環境戦略の策定に向けた国民的議論の推進に資すること」という意見聴取会の目的からすると、「国民的議論」の中に電力会社社員を含めることが適切だったのかは疑問である。
 重要なことは、電力会社は、原発問題に関する議論について、ある種のコンフリクト(利益相反)が存在するということだ。原発の再稼働問題は、安全性と季節的な電力需給の相関関係で議論されることが多いが、そこに隠れているのが電力会社の経営問題である。少なくとも、多くの電力会社の経営が、原発の建設やそれに関連する膨大な費用を、長期間にわたって償却していくことを前提にしているはずだ。大飯原発でも問題になったように、福島原発事故の経験を踏まえた万全の安全対策が講じられるまで原発再稼働ができないということになると、多くの電力会社の経営に重大な影響が生じ、極端な場合、現在の東京電力のように、国による救済が必要となるなど、経営の自立性が損なわれる事態になりかねない。
 原発を再稼働させることは、多くの電力会社の経営にとって、そして、電力会社役職員の経済的利益にとっても極めて重要なものであり、そういう電力会社の役職員の立場は、原発の再稼働をめぐる議論に関して、一般の国民とは利害関係が相当異なっていると言えよう。
本来、原発をめぐる議論の中心は、安全性の確保と長期的なエネルギーの自給等の国家戦略の問題のはずである。しかし、それだけでは、短期的な再稼働の必要性の説明にならない。そこで持ち出されるのが一時的な電力不足による停電の危険性の問題だが、原発問題は基本的には「電気が足りるかどうか」という問題ではないはずだ。なぜ、短期的な原発再稼働にこだわるのか、と言えば、原発が稼働できないことによって膨大な燃料費がかかるという電力会社の経営問題が大きな理由であろう。
 電力会社の役職員は、原発を含め、電力の安定供給という事業に当事者として関わってきた立場であり、その分、専門的、実務的な立場・経験から意見はエネルギー政策の議論にとって貴重なものである。しかし、その一方で、その発言の方向性にはコンフリクトがあることも否定できない。
 今回の意見聴取会の最大の問題は、そういうコンフリクトを考慮した上で、電力会社の社員を「国民的議論」の中に参加させることの是非について、主催者として十分な検討を行ったか否かである。
 単に原発積極活用の方向の発言者が少なかったので電力会社社員を選定した、ということであれば、エネルギー政策に関する公正な議論の場を設定する立場の主催者として配慮を欠くものと言わざるを得ないであろう。
 
 今回の問題は、原発問題に関する電力会社側の発言に対する国民の厳しい受け止め方を表している。電力会社の役職員が、エネルギー政策問題や、原発再稼働問題に関して発言を行うのであれば、当事者としての立場を明確にした上、「国民的議論」とは別の場で意見を述べるのが適切であろう。政府の側でも、その立場に十分に配慮しつつ、電力会社の社員にも、意見表明の場を与えるべきであろう。
今回のように、そこをはっきりさせないまま電力会社関係者が「国民的議論」に参加してしまうと、九電「やらせメール」と同レベルの問題のように誤解されることにもなり、それは、かえって、原発をめぐる公正で客観的な議論を妨げてしまうことにもなりかねない。
 
 官邸周辺での原発反対デモへの参加者は増え続け、猛暑の中での反原発集会でも10万人を超える一般市民の参加者が集まるなど、原発問題をめぐる社会状況は、福島原発事故前はもとより、九電と佐賀県古川知事との不透明な協力によって玄海原発再稼働一歩手前まで行った昨年夏の状況とも、大きく異なったものとなっている。
 福島原発事故という未曾有の事故を経験した国民のエモーションが、今後、どのような方向に向かうのかは全く予断を許さない。今回の、意見聴取会をめぐる問題は、政府が、そして、資源エネルギー庁という担当官庁が、原発をめぐる急激な環境変化にまったく適応できていない現状が端的に表れたものと言うべきであろう。

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エネルギー意見聴取会問題と「やらせメール」問題 への4件のフィードバック

  1. さすが郷原さん^^
    がんばって!

  2. 本阿弥光彦 より:

    郷原さま
    >「国民的議論」の中に電力会社社員を含めることが適切だったのかは疑問である。」
    「国民的議論」の中に電力会社社員を含めることは適切ではなかった。」と言っていただきたかった。

    >公正な議論の場を設定する立場の主催者として配慮を欠くものと言わざるを得ないであろう。
    「公正な議論の場を設定する立場の主催者として配慮を欠くものであった。」と言っていただきたかった。

    最近、原子力村の一員とされる人たちに限らず、あらゆる専門分野にいらっしゃる知識人が、「はっきり物を言わなくなってきた」ように思います。
    上の例の他にも「肯定を、否定の否定で表現する」などです。
    これらの風潮は、おそらく、態度をはっきり表明すると「評価を低くされる」「左遷させられる」「村八分にされる」などの例が各界にあり、潜在的にその恐れを感じているからだと思います。
    悪いのは「意見を述べ、態度をはっきり表明する人」ではありません。反対意見を「異物」として排除する社会環境にあります。
    一言でいえば、まだまだ「日本の社会と、民主主義が成熟したものではない」と言う事でしょう。
    知識人の方たちがんばって!!

  3. 鈴木 良市 より:

    電力会社や電事連、原発関連企業は、国の原子力政策が生み出した「モンスター」です。それが今や『規制側を虜してしまった』と国会事故調が報告しました。国民から真の声を引き出すつもりなら、利益相反のある電力会社や原子力ムラの側の発言は国民に不信感を植えつけるだけで、彼らにとってもマイナスであることすら分からない無神経さを有していることを証明するものです。
    私は「意見聴取会」のあり方そのものについて問題ありと考えています。先ず、原子力の利用割合を0、15、20~25%と決める根拠が不明確です。またそれぞれの場合の代替手段、地震や津波に対する安全性が確保されていない原発への必要投資額、原子炉圧力容器の脆性劣化を考慮した残存耐用年数の明示、新規建設ができない場合の2030年時点での稼働可能原発状況、使用済み核燃料の最終処理と原発廃炉に要する費用、それらを示さなければ、国民は何を根拠に意見を言えるのでしょうか?
    政府の姿勢が原発維持なのか、脱原発なのかはっきりせず、意欲的な提案もありません。結局「意見聴取会」は、単なるセレモニーで終わってしまうものとしか思われません。国民の多くは0を望むでしょうが、15%に妥協するような決着となるかも知れません。仮に中をとって15%とした場合、2030年までに廃炉とするものが多く、15%を維持するために新規建設を認めなければならなくなる可能性も否定できません。

  4. ピンバック: /22 「人の心を持った日本国民のみなさんへ」読んでみて下さい。そして、この記事を書いた新聞社を忘れないように心に刻み込んで下さい。 | 悠々自適な毎日

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