「社会的孤立」を深める検察~最高検報告書は完全に破綻している~

陸山会事件に関する東京地検特捜部の捜査の過程で、石川知裕氏の取調べ内容に関して田代検事が作成し、検察審査会に提出した捜査報告書に事実に反する記載があった問題等についての最高検察庁の捜査及び調査の結果をとりまとめた報告書が、6月27日に公表された(以下、「最高検報告書」)。告発されていた虚偽有印公文書作成等の事件の刑事処分は、田代検事は嫌疑不十分で不起訴、その他の検察官は「嫌疑なし」で不起訴。田代検事は、減給の懲戒処分を受けて即日辞職。当時の特捜部長と主任検事は戒告の懲戒処分を受けた。

最高検報告書の内容は、今回の問題に対する真相解明にはほど遠く、この問題に関する疑惑の説明にも全くなっていない。そして報告書の中で述べられている考え方や物の見方の多くは、内部だけで全てを決められる閉鎖的な組織の中だけにしか通用しない「身内の理屈」であり、社会の常識から理解できず、到底受け入れられるものではない。このようなことを続けていれば、検察はますます社会からの孤立を深めていくことになるであろう。

検察の組織内でしか通用しない「身内の理屈」

今回の陸山会事件捜査に関する一連の問題についての不起訴処分、懲戒処分の理由となる調査結果として最高検調査報告書で示されている内容は、完全に破綻していると言わざるを得ない。凡そ、刑事司法の中核として公訴権を独占してきた検察の調査結果とは思えないものである。

最高検報告書は、田代検事が石川知裕氏の取調べ状況について作成した捜査報告書(以下、「田代報告書」)において実際の取調べの状況とは異なる内容が記載されていることついて、虚偽有印公文書作成罪で告発されていた件について、

①    田代報告書は、取調べにおける石川氏の供述と実質的に相反しない内容となっている

②    実際にはなかったやり取りが記載されている点については、その記載内容と同様のやり取りがあったものと思い違いをしていた可能性を否定することができない事情が複数認められる。

というような理由で、田代検事が虚偽文書を作成する故意があったとは認められないから嫌疑不十分で不起訴、という結論を導いている。

しかし、これらは、いずれも、田代氏の虚偽文書作成の故意を否定する根拠には到底なり得ないものである。

 

まず、①に関して、最高検報告書は「検討すべき記載」を列挙しているが、それらは、田代報告書の中から、「実質的に相反しない」と無理やり言えなくもない箇所だけを抜き出しているに過ぎない。虚偽であることを否定できず、しかも、記憶の混同では説明できない箇所は、見事に除外されている。また、田代報告書に記載された取調べ状況が、全体として実際の取調べ状況と全く異なったものであることも明らかである。それが典型的に表れているのが、田代報告書の冒頭の被告人の取調べへの同意に関する記述である

田代報告書冒頭の記載は完全な「捏造」

同報告書の本文は、「取調べの冒頭,本職が『貴方は,既に政治資金規正法違反の事実で公判請求されており,被告人の立場にあるので,取調べに応じる義務はないということは理解していますか。』と質問したところ,石川は,『その点については,弁護士からも説明を受け,良く理解しています。弁護人から,今回の事件については既に被告人となっているので,無理に取調べに応じる必要はないという説明を受けましたが,小沢先生に対する不起訴処分について,検察審査会が起訴相当の議決をしたのを受けての再捜査でしょうし,私自身も深く関与した事実についてのことですので,本曰は,任意に取調べを受けることにして出頭しました。』旨述べ,取調べを受けることに同意した。」から始まっている。

しかし、石川氏が密かに録音していたレコーダーの反訳書によると、実際の取調べでは、そのような被告人の取調べに関する発言は全くなく、取調べは、「石川さんさ、録音機持ってない」という田代検事の質問から始まり、「大丈夫です」と答える石川氏に対して、なおもしつこく「大丈夫?下着の中とか入ってない?」などと、録音機を持っていないかどうかを尋ねている。その後の取調べのやり取りの中でも、「被告人の立場にあるから取調べに応じる義務はない」という話は全く出ていない。報告書の冒頭の記載は全くの「捏造」である。

被告人の取調べというのは、刑事訴訟法的には極めて異例だ。捜査は起訴までの捜査段階においてなされるべきであり、起訴されたことで被告人となった者は、検察官とは対立する当事者になったのであるから、原則として取調べを行うことはできない。質問したければ、公判廷で裁判官、弁護人立ち合いの下で行うのが原則だ。石川氏は2002年2月に政治資金規正法違反で起訴され、被告人の立場だった。通常なら取調べを行うことはあり得ないが、検察審査会が小沢氏の事件について起訴相当議決を出したため検察官が再捜査することになり、石川氏の取調べを行うことになった。

この場合、検察官は取調べの冒頭で、「被告人の立場にあるので、取調べに応じる義務がない」ということを告知するのが当然であり、それを行うことによって、あくまで例外である被告人の取調べが許されるのである。

実際には、その点の告知を全く行っていないのに、田代報告書では、あたかも、型通りに告知し、しかも、それに対して、石川氏の側が、「弁護人からも説明を受け、良く理解しています」などと言ったように記載されているが、全く架空のやり取りを捏造しているのである。

田代報告書と取調べ状況とが「実質的に相反しない」?

この点も含め、田代報告書に書かれている取調べの全体的状況は、以下のとおりである。

まず、被告人の取調べであり、本来は応じる義務がないことを認識させた上で取調べを開始したところ、石川氏は、従前の供述調書の内容について一貫して全面的に認める一方で、小沢氏の供述を否定することを気にして供述調書への署名を渋っていた。そこで、田代検事が、石川氏に供述調書作成に至る経緯を思い出させたところ、田代検事に言われたことを自ら思いだし、納得して小沢氏への報告・了承を認める供述調書に署名した、というものである。田代検事は小沢氏の供述との関係ばかりを気にする石川氏に、従前と同様の供述調書に署名するよう「淡々と」説得しているだけで、全く問題のない「理想的な取調べ状況」が描かれている。供述調書作成・署名の経過が、この通りだとすれば、誰しも、石川氏の供述調書は信用できると判断するであろう。

ところが、実際の取調べ状況は全く異なる。

最高検報告書では、この時の田代検事の石川氏の取調べに関して「小沢氏の関与を認める勾留中の供述を覆すと、検察は起訴処分に転じ、従前の供述を維持すれば不起訴処分を維持することになる」、「従前の供述を覆すと、検察審査員も石川氏が小沢氏から指示されて供述を覆したものと考え、起訴議決に至る可能性がある」なとど言って、従前の供述を維持するように繰り返し推奨したこと、「検察が石川氏を再逮捕しようと組織として本気になったときは全くできない話ではない旨発言したこと」などを、「不適正な取調べ」として指摘している。

反訳書を見れば明らかなように、石川氏は、取調べの中で、何回も、小沢氏への報告・了承に関して、従前の供述調書の記載は事実と異なるとして、それを訂正するよう求めている。そのような石川氏の要求を諦めさせ、従前の供述を維持させるため、検察自身も「不適正」と認めざるを得ないあらゆる手段を弄しているのである。このような「不適正な取調べ」によって、ようやく従前の供述調書とほぼ同じ内容の供述調書に署名させたというのが実際の「取調べ状況」である。

一方、田代報告書に記載されているのは、石川氏が終始一貫して従前の供述調書の内容を全面的に認めている「理想的な取調べ状況」である。

田代報告書と反訳書とを読み比べてみれば、そこに記載されている取調べ状況が、誰がどう考えても「実質的に相反する」ことは明らかである。ところが、最高検報告書は、田代報告書の中から、録音記録中の同趣旨の発言と無理やりこじつけられなくもないような箇所だけを抽出し、「記憶の混同」で説明できない箇所は見事に除外して、両者が「実質的に相反しない」と強弁しているのである。

社会常識から逸脱した「捜査報告書に関する一般論」

さすがに、このような精一杯のこじつけをしても、「実質的に相反しない」との見解を一般人に理解してもらうことは困難だと考えたのか、最高検報告書は、田代報告書の内容が実際の取調べのやり取りとは異なっていることを正当化する理屈として「供述内容を報告することを目的とする報告書の記載に関する一般論」を持ち出している(4頁の[注])。「表情や身振り、手振り等のしぐさ、それ以前の取調べにおけるやり取りを含めたコミュニケーションの結果得られた供述の趣旨を取りまとめて記載する」ことが「一般的には許容され得る」というのだ。しかし、その理屈は、完全に社会常識から逸脱している。

捜査報告書は、供述調書とは異なり、供述者に供述内容の確認を求めることもなく、検察官が一方的に作成して上司に報告するものである。その報告内容について、表情や身振り、手振りなどを勝手に「供述」に置き換えて具体的な言葉で表現したり、過去の取調べで述べたことを、再度供述したようなに勝手に記載したりすることが許され、その報告を受けて、上司が、捜査や処分の方針を判断する、ということが検察庁の実務として当然のごとく行われるというのであれば、供述者の言いたいこととは全く異なった「供述内容」が上司に報告されることになりかねない。検察官の取調べを受ける際には、迂闊に表情を変えたり、手振り、身振りを交えたりすることはできないし、恐ろしくて取調べなど受けられないであろう。

取調べ検察官が、表情や身振り、手振りなどから、供述者の言いたいことを推測するのは勝手である、しかし、それは、実際に被疑者が言葉を発したというのとは違うのであるから、「表情等による推測」であることを報告書に明確に記載するのが当然である。

私も、過去に検察に勤務した経験から、そのような個々の検察官の裁量による「いい加減」な書面作成を許容する雰囲気が組織内にあったことは否定しない。しかし、それは、身内の中だけでしか許容されない「悪しき慣行」であり、世の中に向かって公然と正当化できるようなことではない。ましてや、近年、世の中のあらゆる組織がコンプライアンスとして組織内における適正な手続、報告などを求められている状況の中で、このような「開き直り」のような理屈を持ち出すことは、到底許されることではない。

「記憶の混同」を懸命に裏付けようとする検察

次に、前記②の、実際にはなかったと認めざるを得ないが、記載内容と同様のやり取りがあったものと思い違いをしていた可能性を否定することができない、としているのが、「小沢氏への報告等を認めた経緯に関する石川氏の供述」の部分、すなわち、「検事から,『貴方は11万人以上の選挙民に支持されて国会議員になったんでしよ。そのほとんどは,貴方が小沢一郎の秘書だったという理由で投票したのではなく,石川知裕という候補者個人に期待して国政に送り出したはずですよ。それなのに,ヤクザの手下が親分を守るために嘘をつくのと同じようなことをしていたら,貴方を支持した選挙民を裏切ることになりますよ。』って言われちゃったんですよね。これは結構効いたんですよ。それで堪えきれなくなって,小沢先生に報告しました,了承も得ました,定期預金担保貸付もちゃんと説明して了承を得ましたって話したんですよね。」との記載である。

検察の再捜査の結果を受けた検察審査会の小沢氏を起訴すべきとする議決書の中で「石川は再捜査において、小沢への報告・相談等を認める供述をした理由を聞かれて、石川自身が有権者から選ばれた衆議院議員であることなどをその理由を合理的に説明し、小沢への報告・相談等を認めた供述を維持していることなどから、前記石川の供述には信用性が認められる」と述べているが、その根拠とされたのが田代報告書の前記記載である。

昨年12月の小沢氏の公判における証人尋問で、田代検事は、この部分が事実とは異なる記載であることを認めたが、「勾留中のやり取りと記憶が混同した」などと弁解していた。

そもそも、直近の取調べでのやり取りを、4か月も前の勾留中の取調べでのやり取りと混同する、などということがあり得ないことは常識で考えても明らかであり、もし、一般人の被疑者が、このような見え透いた弁解をしたら、多くの検察官が、「ふざけるな」と一喝するはずだ。

ところが、最高検報告書は、田代検事の弁解の裏付けとなるものを懸命に探し出して補強しようとしている。

「石川氏の著作物の平成22年1月25日の欄の記載」(佐藤優・魚住昭「誰が日本を支配するのか」所収の石川氏の「獄中日記」)の「十勝の有権者は小沢ではなく、石川に期待して投票したと言われるのがつらい。検事も痛いところをついてくるものだ」という記述があることを指摘して、上記のようなやり取りが、石川氏の勾留中の取調べの中で実際にあったと認定し、田代検事の「記憶の混同」の弁解を裏付けようとしている。

また、反訳書の中に、「なんか、ヤクザの事件、検事も言ってたけどね。石川さん。ヤクザの事件と同じなんだよね」との石川氏の発言の記載を見つけだし、これを、田代報告書の前記記載のやり取りがあったように勘違いした根拠としている。

「石川氏の著作物」に関して、田代検事は、昨年12月の小沢氏の公判での証人尋問で弁護人から追及を受けた際には、「保釈後に石川さんが著書中で言っていることなどについて記憶があって」などと証言し、5月17日の取調べの時点で、石川氏の「獄中日記」の存在を認識していたことが「記憶の混同」につながったと説明していた。しかし、その後、該当する著作物の発刊の時期が、取調べの3か月も後であることを指摘されたためか、最高検に対する田代検事の弁解内容からは、「取調べ時に石川氏の著作物のことが記憶にあった」という部分は消えてなくなっている。そして、「獄中日記」の記載のことは、最高検報告書では、「やり取りが石川氏の勾留中の取調べの中にあったことを最高検が認定した根拠」にすり替わっている。

そこで、田代検事が「石川氏の著書」について、なぜ客観的事実に反する証言をしたのかが当然問題になるが、最高検報告書では、田代検事についての偽証罪の成否の判断の箇所で、「著作物の発刊日という事後的に容易に判明する事項に関わる事柄について、偽証の制裁を認識しつつあえて記憶に反する証言をすることは考え難い」と述べているだけで、事実に反する証言をした理由は全く明らかにされていない。

「検察官がすぐバレるようなウソを意図的につくわけがない」というのは一般的にはその通りである。しかし、いずれにしても「すぐバレるような事実に反する証言」をしたことが証言の信用性を減殺する重要な事実であることは否定できない。

小沢公判で証人として喚問され、報告書の虚偽記載について追及されることが予想される状況の中で、田代検事が何らかの形で「著書での石川氏の発言」について情報を与えられ、「記憶の混同」の苦しい言い訳をする際に頭の中が混乱したか、或いは、言い間違えをしたのかどちらかであろう。記憶していることをそのまま証言していれば事実に反する証言をすることにはならないのであり、小沢公判での証拠却下決定で裁判所が述べた「にわかに信用することができない」という田代証言の信用性の判断は、「石川氏の著書」に関する証言の虚偽が判明したことで、一層厳しいものになったと言わざるを得ないであろう。

石川氏の「ヤクザの事件」という言葉に至っては、5時間にわたる録音記録の中から、雑談的に交わされたこのような言葉を見つけ出してくる集中力には、ただただ敬服するばかりだ。しかし、既に述べたように、田代報告書に記載されている石川氏との問答殆どが凡そ「でっち上げ」に近いものであり、この「ヤクザの事件」という言葉を石川氏が一回発していることぐらいで「勘違い」が裏付けられるものではないことは、常識で考えても明らかであろう。

一般の被疑者であれば、一顧だにされないような弁解を、可能な限りの材料を集めて最大限に補強し、最後には、その弁解が覆せないから、嫌疑が十分ではないとして不起訴にしたというのが、今回、「身内の犯罪」に対して、検察がとった姿勢である。このような「温情あふれる対応」が、あらゆる刑事事件の被疑者に対してとられるとすれば、日本は、犯罪者にとってパラダイスになってしまうであろう。

検察が「記憶の混同」の弁解を維持せざるを得ない理由

検察は、なぜ、これ程までに田代検事を庇い、必死で起訴を回避しようとするのか。それは、単に「身内の犯罪」に甘いということではない。大阪地検不祥事に関して、検察が、前田検事(当時)を、新聞報道で表面化した日に証拠隠滅で即日逮捕、大坪元特捜部長、佐賀元特捜部副部長を、犯人隠避で逮捕・起訴するなど、情け容赦なく斬り捨てたのが、同じ検察なのである。

フロッピーディスクデータの改ざんという犯罪が基本的に前田検事個人で実行された大阪地検不祥事との最大の違いは、田代検事の虚偽報告書作成が個人的犯罪とは考えられないことである。田代検事を厳しく追及し、処罰することになれば、小沢氏に関連する一連の捜査に関する東京地検特捜部の組織的な犯行が明らかにならざるを得ない。しかも、検察は、「検察の在り方検討会議」が開催されていた最中の昨年1月に虚偽捜査報告書の問題を把握した段階で、田代検事の「記憶の混同」によるものであり、虚偽公文書作成は成立しないとの判断を、最高検も含めて組織として行っている。そして、昨年12月の小沢公判での田代検事の「記憶の混同」の証言も、検察の組織的了承に基づいて行ったものであることは間違いないであろう。

「記憶の混同」の弁解が崩れてしまえば、田代検事個人の問題ではなく、特捜の組織的犯罪が明らかになり、また、その犯罪の隠蔽及び偽証の責任が上層部も含めた検察組織全体に及ぶことになりかねないのである。

田代検事の「記憶の混同」の弁解が信用できないとして、虚偽公文書作成罪が成立するとすれば、大坪・佐賀両氏について犯人隠避が成立するとの検察の判断とそれを全面的に認めた大阪地裁の一審有罪判決の見解を前提にすると、田代弁解を信用できるとして虚偽公文書作成罪の成立を否定し、捜査の対象にせず放置して、公表もしなかった昨年1月の検察の対応についても当然、犯人隠避罪が成立することになる。

最高検報告書は、この点を意識したのか、犯人隠避の不起訴理由に関して「事実のすり替えや虚偽報告をしたとは認められない」などと述べているが、大阪地検の犯人隠避事件に関しては、大坪氏は前田検事から故意の改ざんについて告白を受けておらず、告白を受けたことを否定する佐賀氏も、当然のことながら、大坪氏に故意の改ざんを報告したことを否定している。少なくとも大坪氏に関しては、故意の改ざんを認識していたことに関する証拠は極めて希薄である。殆ど証拠もないのに、大坪氏について「故意の改ざんを過失の改ざんにすり替えた」と主張している検察は、今回の事件では、田代検事の故意の虚偽公文書作成を「記憶の混同」によるものにすり替えたのである。

田代検事の「記憶の混同」は、まさに検察の組織防衛のための「生命線」であり、どんなに不合理であっても、社会常識に反するものであっても、守り抜かざるを得ないのである。

佐久間部長、木村検事擁護のための「詭弁」

このような、検察の組織防衛のための「温情あふれる対応」は、田代検事だけではなく、佐久間特捜部長、木村主任検事など、陸山会事件捜査を主導してきた他の検察官にも向けられている。

それが端的に表れているのが、佐久間部長と木村検事が田代検事に石川氏の取調べの状況に関する報告書の作成を指示した経緯と理由についての認定である。

最高検報告書は、佐久間部長と木村検事が田代検事に捜査報告書の作成を指示した経緯について、以下のように認定している。

再度の取調べに対して、石川氏は、小沢氏との共謀を認める従前の通りの供述調書の作成に応じた。そのことを木村検事が佐久間部長に報告したところ、二人の間で勾留中に石川氏が小沢氏への報告等を認めた経緯が話題となった。

佐久間部長は、石川氏の取調べで、「石川氏が小沢氏への報告等を認めた経緯」を振り返る供述があったのであれば、それについて報告書を田代検事に作成させるよう木村検事に指示した。

木村検事が佐久間部長の指示を田代検事に伝えたところ、田代検事は、石川氏が勾留中の取調べを回想し、「小沢氏への報告等を認めた経緯」についても供述していた記憶があったことから、その点も記載して田代報告書を完成させた。

このような経緯で報告書を作成した結果、実際には、実際の石川氏の取調べの中では行われていなかった「小沢氏への報告を認めた経緯を振り返る供述」を詳細に記載した事実に反する報告書を作成してしまったというのである。

しかし、田代検事の石川氏の取調べが終わった後になって、佐久間・木村の間で、突然、勾留中に石川氏が小沢氏への報告等を認めた経緯が話題になったのであれば、まず、その点に関する勾留中の取調べの経緯・状況について田代検事がどのように報告していたのかを木村検事に確認し、必要に応じて田代検事に確認するのが当然であろう。

しかも、再取調べで経緯をその経緯を振り返る供述があったかどうかも確認せず、「あったのであれば、それについて報告書を作成するよう指示をするように」などという無責任な指示の仕方はあり得ない。それは、「そういう供述があろうがなかろうが、あったような報告書を作成しろ」という指示と殆ど同じではないか。

しかも、信じられないことに、最高検報告書では、佐久間部長が、そのような指示をした理由について、「秘書事件公判における立証上有益だと考え」と認定している。仮に、石川氏が、再取調べにおいて「小沢氏への報告を認めた経緯を振り返る供述」をしたとしても、それを報告書にしておくことが、石川氏らの公判での立証上どのように「有益」なのであろうか。

本来は、起訴後、被告人の立場にある石川氏を取調べることはできないはずだが、この再取調べというのは、検察審査会の起訴相当議決を受けて、政治資金収支報告書の虚偽記入に関する小沢氏の共謀の有無に関する補充捜査として行う必要があったために、その目的のために例外的に行われたものである。しかも、その取調べの結果、小沢氏との共謀について従前の供述を維持する内容の供述調書が作成されている。それに加えて、「小沢氏への報告を認めた経緯を振り返る供述」を記載した報告書を作成するように指示したのである。しかも、佐久間部長は、その田代検事の捜査報告書を引用して、自ら捜査報告書を起案し、「小沢氏への報告等を認めた経緯を振り返る供述」の部分にアンダーラインを引き、斎藤副部長名義の自分宛の報告書にして斎藤副部長に署名させ、その報告書(「斎藤報告書」)を小沢氏の事件を審査する検察審査会に提出しているのである。それが、検察審査会での小沢氏の事件の審査・議決ではなく、石川氏ら秘書の事件の公判対策の目的だったなどという話を誰が信じるだろうか。それだけではない、もし、石川氏らの公判の立証に使う目的でそのような指示を行ったとすれば、検察審査会で議決を受けて、小沢氏の事件についての再取調べの名目で取調べを行っておきながら、実は、その取調べの結果を、石川氏の被告事件の公判対策のために転用しようとしたということであり、被告人の立場を無視した刑訴法上許されないやり方である。そのような指示を特捜部長として行うなどということは考えられない。

しかも、最高検報告書は、検察審査会による起訴議決制度の施行に先立って最高検が行っていた「起訴相当等の議決に係る事件の再捜査・処分に当たっては、起訴議決の内容を虚心坦懐に受け止め、これも踏まえ、必要な捜査を遂げ」と指示していたことを持ち出し、上記のように佐久間部長自身が起案した「斎藤報告書」の作成がこの指示に従って、小沢氏の事件を起訴すべく積極的に捜査を行ったものとして正当化しようとしているが(14頁)、佐久間部長による田代報告書の作成指示が「秘書事件公判における立証上有益だと考え」たからなのであれば、田代報告書を引用する斎藤報告書の作成目的が、小沢氏の起訴が相当だとする検察審査会の議決を「虚心坦懐に受け止め」たためだと弁解していることと矛盾する。

田代報告書に記載された取調べの状況は、実際の取調べ状況とは全く異なり、検察審査会の審査・議決を小沢氏起訴に誘導する内容であり、実際に、議決書でも引用されるており、議決に大きな影響を与えたことは誰の目にも明らかだ。そうなると、田代検事への報告書の作成指示の目的が小沢氏の事件に関連するものであれば、佐久間部長、木村検事に検察審査会の議決の誘導の意図があったことを否定できない。そこで、何とかしてそれを否定しようと、上記のような認定をしたのであろうが、ほとんど「詭弁」に近いものであり、まさに「語るに落ちた」というレベルと言わざるを得ない。

田代検事の「記憶の混同」の弁解を必死に維持し、佐久間部長、木村検事についても、田代検事に対する監督責任以外の責任は発生させないように腐心した末の、苦し紛れの事実認定は、「身内の理屈」というだけではなく、その検察内部における健全な常識をも逸脱するものになってしまっている。

「引き返す勇気」ではなく「引き返さない『開き直り』」

結局のところ、今回の最高検報告書では、陸山会事件の検察捜査をめぐる問題に関する事実解明は何一つ行われていないと言わざるを得ない。

事実が明らかになっていない以上、今回の問題が、検察審査会の議決を誘導する意図も全くなく、田代検事個人の不適正な取調べと報告書作成によって偶発的に起きただけの問題であることを前提とする報告書の末尾の「改善策」も、凡そ的外れなもので再発防止策に全くならない。それどころか、そのような無意味なものを、「改善策」と称して公表する無神経さを見せつけられると、もはや検察の信頼回復は絶望的と考えざるを得ない。

笠間検事総長は、検察改革に関して「引き返す勇気」を持つことを強調していた。しかし、今回の刑事処分と調査報告書の内容は、「引き返さず『開き直る』」という検察の姿勢を世の中に示すことになった。最後の望みを託した笠間総長への期待も空しく、検察に自浄能力が全くないことが明らかになった以上、社会からの健全な常識に基づく批判と、検察審査会の審査・議決など外部からの力によって、検察に解体的出直しを迫る以外に、国民に信頼される検察を実現する方策はない。

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「社会的孤立」を深める検察~最高検報告書は完全に破綻している~ への3件のフィードバック

  1. 鈴木 良市 より:

    検察の解体的な見直しですが、これは検察に止まらず、立法・行政・司法の三権に民主主義を担保するシステムが組み入れられていないことに起因するものと思われます。行政の長が談合で決められたり、国民との約束が反故にされたり、司法までもがおかしくなっています。
    国会にはアメリカ議会のCBO(議会予算局)のような第三者支援機関と多数派の横暴に対する歯止めとしての国民投票請求権を設け、行政には民間監視委員会、また、国民に対して直接的な法執行を行う警察、検察、裁判所の運営または監理を行う国家公安・検察・司法委員会の各独立第三者機関を設け、それぞれが国内法に基づき国民の目として機能するようにすべきだと考えます。各機関の委員は国民によって民主的に選ばれた者によって構成されなければなりません。
    検察で言えば、検察委員会によって運営され、自発的捜査権限を持たず、警察又は民間監視委員会の送検または告発を以て捜査権を付与されるものとします。その際、民間監視委員会が国民の意を受け告発権を行使することができるため、検察審査会は不要となります。
    また、司法においては、裁判官が司法行政に関与することを認めず、司法委員会が司法行政全般を監理するようにして、司法制度を国民の価値観に近づけることが必要です。また、罪刑法定主義や刑法の見直しも必要と考えます。

  2. haijimaoyaji より:

    内田樹氏はこの報告書は検察が万能であることを誇示し畏怖させることが目的だ(と匂わせていますね)。それが理由なら少なくとも筋は通っている。

  3. 素朴な疑問 より:

    そこまで思いつめた郷原先生なのですから、もっと積極的に動けないものでしょうか?たとえば郷原先生の名をもってして検察審査会に申し立てを行うことが法的に可能であれば、そのネームバリューからして今以上に国民の関心を引くことが可能だと思うです。私はこの「国民の関心」を引くことこそが検察改革の為には一番の糧だと考えます。もちろん検察審査会そのものに対し全ての信を置いている訳ではありませんが、メッセージとしては相当有効な手段だと考えます。

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