2011年 年頭メッセージ

明けましておめでとうございます。

昨年末から、毎日新聞社から公刊する予定の著書の執筆に没頭していたため、例年より、年頭メッセージが遅れてしまいました。

今回の著書は、大阪地検をめぐる不祥事等で信頼を失墜している検察の問題を、不祥事対応の失敗とその背景にある組織の構造的問題という面から検証するとともに、日本の社会における様々な分野のコンプライアンス問題を本質に遡って考え直し、それらを踏まえて、検察の信頼回復の道筋を明らかにしていこうという内容です。ここ数年の私のコンプライアンスに関する活動の集大成にしようと意気込んでいます。

2月年末の公刊をめざしてから年末から突貫工事を続けてきましたが、何とか、第一次原稿の完成の目途がつきつつあります。この著書での問題意識を中心に、遅ればせながら、2011年の年頭のメッセージをお送りします。


我が国は、政治・外交・財政・経済、あらゆる面で未曾有の危機にあります。それを象徴しているのが、国家の作用の根幹というべき刑事司法を担う検察が陥っている危機的な事態です。

大阪地検特捜部が郵便不正事件で逮捕・起訴した村木元厚労省局長に対する一審の無罪判決は、検察の控訴断念、上訴権放棄という全面敗北に終わったばかりではなく、その捜査の過程で前田元検事が証拠品のフロッピーディスクのデータ改竄していた事実が明らかになり、同検事が証拠改竄で逮捕された上に、犯人隠避で、大坪前特捜部長、佐賀前副部長まで逮捕されました。これらの問題により、検察に対する国民の信頼は地に堕ちています。

不祥事を起こし、メディアスクラム状態でバッシングを受けている企業に関しては、些細なことでもあらゆることが記事、ニュースになります。最近の検察も、取調べ時の検察官の言動、証拠の隠蔽、職員の過誤、あらゆるものが問題にされます。「女性検事が調書への署名を拒否されて『ブチ切れますよ』と言った」という程度の問題でも記事にされる程です。

今、検察が直面しているのが、ここ数年、様々な官庁、企業等が直面してきた組織の「不祥事」であり、「コンプライアンス問題」であることは、誰の目にも明らかだと思います。

検察という組織に関して重大な問題が発生したことは決して今回が初めてではありません。しかし、これまでは、検察をめぐる問題が、検察の組織としての「不祥事」ととらえられることも、コンプライアンスという観点で論じられることもありませんでした。それは、従来から、マスコミ等でコンプライアンスが「法令遵守」という言葉に単純に置き換えられる中で、その「法令遵守」の中心にある組織である検察に対して「法令遵守」を問題にすることに違和感があったからではないかと思われます。

しかし、バブル経済の崩壊の頃からの企業や官公庁のコンプライアンスをめぐる動きからすると、検察のような組織が今回のような重大な不祥事を起こすのは必然だったのではないかと思えます。

90年代以降、あらゆる官庁、企業は、三つのことを求められてきました。

一つはガバナンスです。その主権者、権利者の意思に基づく組織の運営が行われなければならない。その組織のトップが暴走したりしないようにするためのガバナンスが必要であるということが、とりわけ90年代以降強調されてきました。二つ目は、情報開示義務です。昔は、企業や官庁についての重要な情報は、内部で秘匿していることも別にそう問題にはなりませんでした。それが情報はオープンにすることを官庁も企業も求められるようになりました。三番目に、開示した情報等に基づいて、その組織が行っている活動についての説明責任が求められるようになりました。

ある意味では、企業や官庁がコンプライアンスの徹底を求められるようになったことの背景に、組織がこの三つのことを求められてきたということがあります。それなのに、行政機関である検察はなぜかそれをほとんど求められてこなかったのです。

ガバナンスという面からいうと、「正義」というところで止まってしまいます。一体、誰の意思に基づいて、誰にその権限が与えられて検察は活動しているのかということは、全て正義のところで切断されてしまう。

情報開示義務に関しては、捜査の秘密、訴訟記録の非公開というような理由で重要な情報はほとんど開示されなかった。説明責任については、一昨年春の西松建設事件の時に、検察にも説明責任があるのではないかということがいろいろ問題にされました。しかし、結局検察の側は、自分たちは裁判所に対して立証責任を負っているだけで、それ以外に説明責任は負っていない。逮捕、起訴に関しては理由を説明する必要はない、ということで今までずっと片づけてきました。

結局、ガバナンスも情報開示義務も説明責任もほとんど無視してきた検察という組織は、不祥事が起きるのは当たり前なのです。ある意味では、今回の大阪地検で起きた問題はまさに必然ですし、これまでにも似たような、同じような問題は繰り返し起きてきた、とりわけ特捜検察においては起きてきたと考えるべきだと思います。

今回大阪地検で起きた問題を、事業活動を行う企業に置き換えて考えてみましょう。

一般的には、検察の業務というのは、警察などの第一次捜査機関から送致を受けて事件という商品を仕入れます。仕入れた事件という商品に、証拠という部品を使って、起訴という形に加工して、裁判所を通じて世の中に供給します。その中には、仕入れた商品が不良品だと判断して、供給をしないこともあります。その場合は不起訴処分です。そこには、検察の判断には客観性が働いています。

ところが、特捜検察は、唯一、例外的に、一貫生産を行います。原料を仕入れるところから、製造活動、供給まで、一貫して検察が全てやります。

今回の問題は、その一貫生産のプロセスにおいて、どうもこの製品はとんでもない不良品だ、裁判所に起訴するという形で、世の中に供給してはいけないものだということに気がつくべきだったのに、その商品を、まともな商品であるように装って裁判所を通して世の中に供給し続けた。しかも、部品を改竄して品質を偽装して、まともな商品に仕立て上げようとした、という事件です。

企業であれば、そういう不良品を供給することがないように、厳重な品質管理体制がとられ、何重ものチェックが働いているはずです。ところが、今回の検察の問題では、不良品をそのまま供給しようとした問題に関しては、検察の内部のチェックシステムはほとんど働きませんでした。それが今回の検察をめぐる不祥事の本質です。

企業であれば、こういう問題が発覚したら、製造工程、製品の品質保証体制の見直し、社員の倫理観、企業文化に問題はなかったかなど、様々なコンプライアンス対応が求められることになります。

単に部品を偽装したとか、その品質に関してフロッピーデータという客観的なデータを偽装したというだけではなくて、もともとそういう商品を世に出すこと自体に問題があった。そういう商品をなぜ出そうとしてしまったのか。その生産体制自体に問題があったという見方をしないといけない。今回大阪地検の不祥事の本質は、証拠改ざんだとか犯人隠避だとかそういうことではなくて、特別公務員職権乱用罪だと言っているのはまさにそういうことです。

では、検察は、直面している重大な深刻な事態にどう対応してきたか。組織の不祥事をめぐるコンプライアンス問題ととらえたとき、検察の対応は、過去に、多くの官庁、企業が行ってきた不祥事対応の常識とはあまりにかけ離れたものです。

年末に、最高検の検証結果が公表されましたが、問題となった郵便不正事件に決裁ラインの頂点の機関として関わった最高検に検証チームが設置され、しかも決裁を行った次長検事が座長になる、という当事者そのものが検証の主体であることから、そもそも客観的な検証は不可能だと思っていましたが、結局のところ、検証結果は、主任検察官で証拠の改竄を行った前田元検事と、その直属の上司の大坪前部長を一方的に悪者にする内容でした。内容面でも不十分な点、疑問な点が多々あり、凡そ客観的検証の名に値しないものです。

このような不十分な検証結果に基づいて再発防止策を提示すること自体が、そもそも疑問ですが、この検証結果の公表とほぼ同時に、検事総長が引責辞任しても、事件のケジメがついたとは到底言えません。今後、徹底抗戦の姿勢を崩していない大坪・佐賀両氏と検察との間でヤクザ映画「仁義なき戦い」のような内部抗争が続き、検察の信頼失墜が長期化する恐れがあります。

明らかに組織の不祥事であり、コンプライアンス問題であるにもかかわらず、それをコンプライアンス問題としてとらえる発想自体がなく、検察組織の対応は、凡そ組織の不祥事対応の常識からはかけ離れたものとなっている。それが、検察に対する国民の信頼を一層大きく損なうことになりかねません。少なくとも、現在の検察には、今回の不祥事を、組織のコンプライアンス問題ととらえ、対策を講じなければ、信頼を回復することはあり得ないのです。

しかし、こうした検察をめぐる現状は、見方を変えれば、コンプライアンスを、従来のように「法令遵守」にそのまま置き換えるのではなく、「組織が社会の要請に応えること」という捉え方に転換し、その再構築を図っていく格好の機会であるとも言えます。

本来、多くの人間から構成されている組織が、社会的に批判されないような行動を行うことを確保するためにコンプライアンスという観点で考えることは不可欠なはずです。検察の組織に関して、コンプライアンスという観点で考えることを阻んできた「法令遵守」という固定的な観点から脱却し、検察組織が、真に社会の要請に応えていくために、今、何を問題ととらえ、何をなすべきか、を真剣に考えなければならないのです。

これらの検察不祥事を受け、法務大臣の諮問機関として設けられたのが「検察の在り方検討会議」。検察を含む法務省組織のトップ、検察問題についての最終的な責任者である法務大臣が設けた「第三者機関」としての同会議での今後の議論は、今回の検察不祥事をコンプライアンスの観点から検討し、原因を分析し、組織の信頼回復を図るための唯一の場と言えるでしょう。

新年早々から、私の頭の中は検察問題一色です。まず、検察の在り方検討会議を中心に検察問題を本質に遡って検討し、抜本的な改革策を考えていくこと、それによって検察の信頼回復に何らかの道筋を見出すことができれば、そこから、あらゆる官庁・企業のコンプライアンスの未来が見えてくるはずです。

nobuogohara について

弁護士
カテゴリー: コンプライアンス問題, 検察問題 パーマリンク

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