大坪・佐賀氏に犯人隠避は成立するか?

【第104回定例記者レク概要より抜粋】

今日は犯人隠避の容疑で、逮捕・勾留されている大阪地検特捜部の前部長の大坪氏、前副部長の佐賀氏の延長満期ということで、すでに起訴されたと報じられています。この事件について、私はすでにいろんなところで発言をしていますけれども、改めて今回の最高検の調査チームによる捜査、そして今回の、犯人隠避による起訴という処分について、私なりの考え、見解をお話したいと思います。

まず、そもそも今回の大阪地検の前田元検事による証拠隠滅の事件、そして今回、その証拠隠滅の犯人を隠避したということで、前部長、前副部長が逮捕、起訴された事件。いずれも、私はこの問題の本質、核心ではないと思います。私は今回の問題の核心が特別公務員職権濫用であるということは、この前部長、前副部長が逮捕される、ずっと前から言ってきました。

問題の核心は、このフロッピーディスクの最終更新日のデータという客観的な証拠に照らすと、その当時の大阪地検特捜部の収集していた証拠関係では、村木さんの虚偽有印公文書作成罪の共謀というのは、とうてい認められない証拠関係であったことは明らかだった。関係者の供述からは、村木さんから上村氏に不正な証明書作成の指示があったとすれば、6月8日以降としか考えられなかった。

ところが、一方でフロッピーの最終更新日データからすると、最終的に証明書を作成した日時は6月1日の午前1時ぐらいになる。これでは村木氏の指示にもとづいて不正な公的証明書を作成したという事実は客観的に立証できないわけです。

こういう証拠関係のもとで、村木さんの逮捕を行なうことは、明らかに職権濫用だと思います。その職権濫用にあたる逮捕、それに引き続く勾留、そして起訴を行なうことによって、長期間にわたり村木さんの身柄を拘束したということが、本件の事件の核心であって、それは前田元検事の特別公務員職権濫用という犯罪であるとともに、こういう犯罪を行なわせてしまった検察の体制、決裁システムがどういう状況だったのか、なぜそれが適切に機能しなかったのかということを明らかにすることが、捜査の本筋だと思います。

そういう観点からすると、そもそも前田元検事の証拠隠滅という行為、フロッピーディスクの改ざんという行為もまさに手段として行なわれたものにすぎないわけであって、事件の本質ではない。
そして今回、今日起訴された、この大坪氏、佐賀氏二人の側がフロッピーディスクの改ざんが故意か・過失かを、知っていたか・知っていないかというのは、実に周辺的な事実であって、本質ではけっしてない。

いずれにしても、それによって村木さんの事件が客観的に立証困難だということは、十分に認識していたわけですから、遅くともそのときには村木さんが無実であるということは認識するべきであった。それにもかかわらず、有罪をめざして公判活動を続けていった、立証を続けていった。そのことに問題がある、それが最大の問題だと考えるべきだと思います。

それを、周辺の事実にこだわって、前田検事を証拠隠滅で逮捕・起訴しただけではなく、大坪前部長、佐賀前副部長のその周辺の事実で逮捕・起訴したというのが今回の検察の捜査、処分です。そこに私は重大な問題があると思います。本筋を外れているということに加えて、この犯人隠避罪による起訴も非常に問題であり、私は公判でこのまま両名が全面否認を続けるとすれば、無罪になる可能性が相当程度高いと考えています。

そう考える理由ですが、まず第1にそもそもいろんなリーク情報の報道で出て来ていますが、結局のところ、この犯人隠避を根拠づける証拠というのは、この前田元検事の供述、そしてそれを裏付けるものは、それを支えるものは同僚検事、応援検事ですね、もう名前も明らかになっていますけども、国井検事の供述、結局、そういう供述によって立証せざるを得ないわけです。

しかし、そもそもこの前田元検事がいったいどういう犯罪を行なった人物で、どういう立場にあったかということを考えれば、その供述にけっして信用性があると言えないことは明らかだと思います。まさに自分の捜査上の立場を守るために、村木さんについて証拠上、相当無理があることを承知の上で、その不利な証拠を隠して――言ってみれば上司や上級庁を騙すかたちで、村木さんの逮捕を強行したという人物です。もちろん、騙された側にも重大な問題があるわけですが、少なくともそういうことで、自分の立場を守るために、そういう無実の人を罪に陥れた人間です。

そのことは、今回の前田元検事が逮捕、勾留され、そして最終的に現時点で起訴されているのが、彼がやったことに対しては非常に軽微としか言いようがない証拠隠滅罪、懲役2年以下の罪でしかない。そして、私が先ほどから言っているように、本筋は、これは懲役6月以上、10年以下の特別公務員職権濫用であるとすると、なんとかして軽い罪で終わらせたいということで、上司に責任を押しつけることによって、自分が重い罪を科せられないようにする動機は十分にあると考えるべきだと思います。

しかも、フロッピーの改ざんが故意か過失かということに関して、前田元検事が大坪前部長から電話で問いただされた時点で、本当に素直に故意の改ざんであるということを告白したのかどうか。今日お配りしているのは、『中央公論』の11月号、10月10日に発売になった号の中に書いた私の論考ですけども、この中にも書いています。

まず、何のために上村氏の側にこの証拠物を返還したのか。
早期に起訴後、短期間で返還したのかという、この理由はいろいろ考えられますが、1つの大きな理由は、そういう改ざんをした証拠物を手元に置いておきたくなかったということがあったと思います。

そうしておけば、何をどう改ざんしたのかということを直接知られることはない、ということが言えるわけです。そうだとすれば、せっかくそうやってそのフロッピーを返しているのに、だからすぐには調べられない状態にあるのに、上司から聞かれて、直ちに故意の改ざんをしたということを洗いざらい本当のことを告白するだろうか。しかも、そういう状態ですから、6月の8日にデータを改ざんしたことはわからないわけですね。6月1日が最初更新日であったのを、いったいどのように改ざんしたのかということがわからない。そうだとすると、今回、朝日新聞の報道によってこの事実が明らかになって以降の状況とはまったくちがうわけです。

朝日新聞の報道で今回明らかになった時点では、すでに6月8日に改ざんしたということがわかっていた。だから、さすがに前田前元検事も過失だとか、遊んでいてそうなったとかいうような弁解をしたって、誰も信じなかったわけですが、その大坪前部長が電話で聞いた時点では、まだ十分に言い逃れができる状況だったと考えられます。その段階で直ちに故意であったということを告白したというのは、きわめて不自然だと言わざるを得ない。

それから、もう1つの問題は、この犯人隠避という面でいうと、これは本当に隠避行為と言えるのかどうかということも、法律構成的に犯罪の成否という面では重大な問題だと思います。

前にもこの場で言ったかもしれませんが、犯人隠避というのは原則は積極的に犯人を匿うとか、どこかに逃げさせるという作為を行なった場合です。隠れ家を提供するとか、逃走資金を渡してやるとかです。例外的に不作為が犯人隠避にあたる場合というのは、例えば警察官が指名手配犯人を発見したんだけども、それをあえて見逃してやったというように、その場で直ちに逮捕すべき義務があるのにそれをやらなかったという場合が、消極的な、不作為でも犯人隠避が成立する場合です。

しかし、検察というのは第一次捜査機関ではもともとないわけで、検察が犯人を逮捕するというのは、目の前で犯罪が行なわれているから、直ちに現行犯で逮捕するとか、指名手配犯人を逮捕するということではなくて、検察の独自捜査による犯人逮捕についての、それなりの手続をとって、検察の組織として決定をした上で逮捕することになるわけです。

そうだとすると、単にその場で、目の前に部下が犯罪を犯していたことがわかったのに、それをあえて犯罪だと言って上司に報告しなかったということが犯人隠避にあたるかというと、これはきわめて疑問です。そういったことも含めて考えると、犯人隠避というのは、けっして今回の問題の本質でも何でもない、本当に周辺の事実にすぎないというだけではなく、その周辺の事実を無理に立てようとした、今回の最高検の捜査自体にも相当無理があり、今回の起訴にも相当な無理があると言わざるを得ないと思います。

結局、なぜ本筋に迫れないのか?
こういうふうに私が、特別公務員職権濫用であるということをずっと言い続けているのに、結局、未だにその事実を立件してない。なぜなのか?
そのあたり、この『中央公論』の論考を書いた後の事情として、前田検事が起訴された段階で、前田検事がこういうふうに弁解している、供述している、というようなことが最高検の記者会見の中での説明として報じられています。そのことも踏まえて、大阪地検をめぐる事件、職権濫用罪の成立は明白だというタイトルで書いたものです。これは今日中にホームページにアップしようと思っています。

この前田検事側の弁解は、この1枚目の下の方に書いているように、「他の証拠から立証可能と考えていた。嫌な証拠、マイナス証拠で公判が紛糾をすることは避けたいという思いから改ざんした。マイナス証拠で即無罪とは思っていなかった」という供述。

まさにこれは私が言っているところの特別公務員職権濫用に対する前田元検事の弁解だと考えられます。

しかし、他の証拠から立証可能だと言いますが、どうやって立証するんですかね、いったいどういう立証が可能なのか、私にはさっぱりわかりません。さっきから言っているように、現に関係者供述で6月8日以降に指示があったとしか考えられない。それなのに最終更新日データは6月1日。ということは、どっちかをずらすしかないわけですよ。なんとかして、最終更新日に関する客観的なデータを改ざんしてずらすか。これは実際やったわけです。立証には使わなかったけれども。そういうことやるか、あるいは逆に関係者供述をもっとぐっと前のほうにもってくるか、どっちかしかないわけです。

しかし、関係者供述というのは、その前提となった、そもそもどの時点でそういう公的証明書がどうしても必要だということを認識したのかということとの関係でも、今さらずらせない。
ですから、そういう意味では他の証拠から立証可能だと考える余地はないはずなんです。そうすると、有罪にもっていくとすれば、どういう方法があるかといったら、証拠を改ざんするか、証拠を隠蔽するしかないわけです。

そういうことをやってもいいのか。やってもいいことは当然言えないはずです。そういうことをやるのは職権濫用です。ということになると、この前田検事の供述は、これは弁解になってない。これではなぜ特別公務員職権濫用を適用しないのかという理由の説明にはなりません。

では、なぜやらないのか?

これは私の推測ですけども、最高検にはやろうと思っても、最高検の立場では、それをやるのはきわめて難しいのではないかと思います。というのは、前田元検事がもともと逮捕をした段階では、証拠の矛盾を隠した。フロッピーディスクのことは報告書に書かないで、隠して、決裁を騙しとるようなかたちで上司とか上級長の逮捕に対する了承を得て、それで逮捕した。言ってみれば、リレーで言えば、第1走者の段階はいちおう前田元検事が一人で走ったということかもしれない。まわりの人たちは認識がなかったかもしれない。

しかし、いずれかの段階では、上司や上級庁もその証拠上の矛盾には、途中で気がついたはずです。そして、遅くとも今年の5月の段階で、裁判所が、検察官請求証拠43通のうち、34通の証拠請求を却下した段階では、証拠決定書で6月1日が最終更新日だということは出てきているわけです。遅くともこの時点ではもう認識したということになります。

この事実をどうするのかということが問題になります。ここで、最高検も含めて、ほとんど、完全に前田検事が当初1人で走っていた「証拠が矛盾しているのに有罪にする」という走りのバトンを受け継いでしまっているわけです、みんな認識した状態になったわけです。ここで立証困難、立証不可能だということで、もう有罪立証を断念しなければいけなかった。

それをどうしたかといったら、ここに言っているように、およそ裁判所の方がほとんどまともに相手にもできないような不自然、不合理な、ほとんど憶測にもとづくストーリーで有罪だという、証明十分だという、そういう論告をやったわけです。

6月1日に文書はすでに完成していたけど、いろいろ躊躇して印刷することをためらっていたら、村木さんから不正な証明書を作れということを言われたものだから、それに背中を押されるようにして6月8日に印刷したものだという、ちょっと普通では考えられないような、苦し紛れのストーリーで有罪の論告を行なったのです。

この時点では村木さんは既に保釈されていますので、逮捕・監禁という職権濫用行為は終わっていますが、実質的には前田元検事の職権濫用で始まった「無実の村木さんを有罪にする」という行為が最高検も含めた決裁ラインで継続され、それが最終的に無罪判決を受けて控訴を断念したことで終わったのです。そこのところがどうなのかということを捜査機関として詰めないといけない。

しかし、それをその当事者である最高検ができるのかと、そんなことは到底できないと思います。ですから、最初から私が言っているように、そもそもこの事件を最高検の捜査チームが捜査すること自体が無理なのです。

検察という組織にはもともとこういうときに、踏みとどまる、諦める、負けを認めるというような考え方が希薄であったと言わざるを得ないと思います。今までも、真犯人が現われて冤罪であることが間違いないという状況になったとかいうことでないかぎり、検察が有罪立証を断念したということはほとんどありません。Aという証拠、Bという証拠を全部出してしまえば、たしかに無罪になるかもしれないけども、Bという証拠を積極的に証拠請求しなければ、Aという証拠だけなら有罪で認定してくれるという場合に、そのBという証拠を出さないということは、けっして珍しいことではないんじゃないかという気がします。

そうすると、今回のような場合にも、最後の最後まで有罪だと言って突っ張るというのは、むしろこれまでの日本の検察がずっととり続けてきた態度であって、そのこと自体の見直し、「それでいいのか」ということを考えなければいけない。そういう意味では、検察にとって根本的な問題、構造的な問題を、この事件を機に考え直さないといけないわけです。それを行なう意思がないから、最高検が自ら捜査をしていると言わざるを得ないと思います。ということで、今回の事件、まだまだ事件の核心には全然迫れていないということだと思います。

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