”重大な論理矛盾”を犯してまで有罪判決に向かったのはなぜか ~美濃加茂市長事件控訴審不当判決(村山浩昭裁判長)の検討(その1)~

前回のブログ記事【村山浩昭裁判長は、なぜ「自分の目と耳」を信じようとしないのか】でも書いた「名古屋高裁刑事2部が、マスコミには配布されている判決要旨を、当事者の被告人・弁護人に渡すことを拒絶していた問題」のその後の動きとして、昨日(12月1日)午後、高裁から「判決謄本ができたので、今日の午後6時以降に交付できる」という連絡があり、先程、判決謄本(正式な判決書全文の謄本)を受け取ることができた。

11月30日には、藤井市長自身と森弓子市議会議長が美濃加茂市から名古屋高裁にまで出向いて判決要旨の提供を求めたのに、書記官に拒絶されたことをマスコミが報道したので、批判が高まるのを恐れて、判決書を大急ぎで完成させたということだろう。

しかし、今回のように、自治体の首長のような公職者が「有罪判決」を受けた際に、マスコミに渡されている詳細な判決要旨が、裁判長の「お心次第」で、被告人に提供することを拒絶することができるのであれば、判決内容について、正確な説明ができない被告人が政治的に追い込まれ、辞任に追い込まれるということにもなりかねないのであり、このようなことは、絶対に起こり得ないように、裁判所の取扱いを是正すべきだと思う。

とにもかくにも、今回の控訴審判決の正確な内容がようやく把握できたので、これから、「逆転有罪」という結論だけではなく、その理由がいかに不当なものかを順次解説することにしたい。

今回は、控訴審判決に根本的な「論理矛盾」があることを指摘する。

まず、一審での検察官の主張、一審判決の認定・判断、検察官の控訴趣意の大枠は、以下のとおりである。

①一審での検察官の主張

中林の贈賄証言は、関係証拠と符合し、供述内容が具体的で自然であることから、信用性が認められる。

②一審判決の認定・判断

ア 中林の贈賄証言が本件各現金授受の事実を基礎づける唯一の証拠である。

イ 中林の公判供述は、全体として具体的かつ詳細なものであり、不合理な内容も見受けられない。

(しかしながら)

ウ 捜査段階における中林の供述経過、記憶喚起の経過に関する中林の説明内容に疑義があること、重要な事実に関して変遷し、不自然であり、客観的な事実を示されて、それに符合するような供述を行った可能性がある。

エ 中林のような会社経営の経験があり、金融機関を相手として数億円の融資詐欺を行うことができる程度の能力を有する者がその気になれば、内容が真実であるか否かにかかわらず、法廷において具体的で詳細な体裁を備えた供述をすることはさほど困難なことではない。

オ 中林は、本件証人尋問に臨むに当たり、検察官との間で相当入念な打合せをしてきたものと考えられることから、公判廷において、客観的資料と矛盾がなく、具体的かつ詳細で、不自然かつ不合理な点がない供述となることは自然の成り行きと言える。

キ 中林が、融資詐欺に関して、なるべく軽い処分、できれば執行猶予付き判決を受けたいとの願いから、捜査機関、特に検察官に迎合し、少なくともその意向に沿う行動に出ようとすることは十分にあり得る。

③検察官の控訴趣意

ア 中林証言を離れて、間接証拠によって認定できる間接事実から現金の授受の存在が推認される

イ 中林証言と整合する間接事実の内容や、中林の供述及び裏付けの経過、本件贈賄が捜査機関に発覚する前の時期に中林が捜査機関とは無関係な第三者に被告人に対する現金供与を自認する発言をしていたこと等の事実から、論理則・経験則等に従って検討すれば、中林の虚偽供述の可能性は全て否定される。

そこで、控訴審判決の認定・判断であるが、重要なことは、検察官が控訴趣意の柱として、趣意書の冒頭で詳述した③アについては、「中林の原審公判証言を離れ、本件に関する間接事実だけから各現金授受の存在が推認できるとは言えない」と判示して否定しただけでなく、控訴趣意の③イについても、「論理則、経験則から中林の虚偽供述の可能性が全て否定される」という検察官の論理は採用していないということである。

控訴審判決は、むしろ、一審での検察官主張に近い①のような認定手法によって、「関係証拠と符合し、供述内容が具体的で自然である」として中林証言の信用性を認め、一審判決が指摘した②ウの供述の変遷や不自然さについて、一つひとつ取り上げて否定したのである。

ここで疑問が生じるのは、検察官は、それ相当の理由に基づき、①の、一審での検察官の主張・立証では不十分と考えて、控訴趣意において、新たな立証の枠組みとして③のア、イを主張したと考えられるが、それをいずれも採用しないで、①だけで中林証言の信用性を認めることができるのか、という点である。

そこで、改めて控訴審の審理の経過を振り返ってみる必要がある。

【控訴審逆転有罪判決の引き金となった”判決書差入れ事件”】でも述べたように、控訴審では、まず、検察官の控訴趣意に関する事実審理が行われたが、それが終了した昨年12月11日の打合せ期日で、裁判長が、職権で中林の証人尋問を行うことを検討中であることを示唆し、2ヶ月余りの検討を経て、2月23日の打合せ期日に、裁判長が、職権証人尋問を実施することを決定した旨明らかにした。しかも、検察官には証人テスト(打合せ)を控えるようにという異例の要請があった。

検察官の控訴趣意に基づく事実審理が終了した段階で、その時点の証拠関係に基づき、中林証言の信用性が認められるかどうかについて、2ヶ月余りをかけて検討した末、それまでの立証では不十分だと判断したからこそ、異例とも言える控訴審での職権証人尋問が決定されたと見るべきであろう。

この職権証人尋問は、「記憶の減退」を理由に強く反対する検察官の意見を押し切って決定されたものであり、控訴審裁判所も相当な覚悟を持って決断したものだった(【検察にとって「泥沼」と化した美濃加茂市長事件控訴審】)。

このような審理経過からも、検察官の控訴趣意に関する事実審理が終了した段階では、裁判所が、中林の証言の信用性が最大の問題になっている本件に関して、一審とそれまでの控訴審での審理の結果からは、公訴事実が合理的な疑いを容れない程度に立証されたとは言えないと判断していたことは疑う余地はない。

そこで、一切事前には情報を与えず、まさに中林の「生の記憶」を確認することで、中林の供述の信用性について、決定的な判断材料を得ようとして行われたのが、中林の職権証人尋問だったのである。

ところが、証人尋問の前に、融資詐欺・贈賄の罪で服役中の中林の下に、中林自身の裁判で弁護人だった東京の弁護士から、尋問事項に関連する資料として、藤井市長に対する一審無罪判決の判決書等が送られて差し入れられるという想定外の事態が起こった。そのため、中林は、その判決書に記載されている自分の捜査段階での供述や一審での証言内容をすべて把握して証人尋問に臨むことができることになったため、実質的には検察官と打合せを行ったのと同様に、中林の「生の記憶」を確認することができなくなってしまった。

証人尋問では、中林は、一審の証言とほとんど同じような証言を行い、「資料は差し入れてもらい、ざっと目を通したが、その直後、面会に訪れた弁護士から、『資料は読まないで、自分の記憶で証言してほしい』と言われたので、その後は読んでいない」と証言した。しかし、弁護人は、尋問項目ごとの中林証言と送付された判決書の内容との比較等から、中林が、入手した判決を熟読し、尋問項目に沿って証言内容を周到に準備していたことを論証し、証人尋問が行われることを聞いて資料入手を画策した中林の行動や、判決を熟読して証人尋問に臨んでいるのに、読んでいないと虚偽の証言をしていることからも、中林の意図的な虚偽供述は明白になったと主張した。

これに対して、検察官は、上記のような中林の証言を受けて、「当審中林証言は、骨格部分は一審中林証言と同様である一方、細部について記憶が減退している箇所等が存するというものであり、これを経験則に照らして素直に評価すれば、中林が記憶どおり証言しているからこそ、骨格部分は一審中林証言と整合し、他方で、時間の経過や供述経過という記憶に残りづらい事項に関する証言であることなどから、細部について記憶が減退していると評価すべきものである。」と主張した。

既に述べたように、この中林証人尋問が行われる前の段階において、控訴審裁判所が、公訴事実についての検察官の証明が不十分だと判断していたことは明らかなのであるから、この証人尋問での中林証言について、弁護人・検察官のいずれの主張を認めるのかで、控訴審の帰趨は決するものと考えられた。

この点について、控訴審判決は、以下のように判示している。

なお、中林については、当審においても事実取調べとして証人尋問を行った。これは、弁護人が主張し、かつ、原判決も指摘するように、原審における証人尋問に際して、検察官が入念な打合せを行ったため、中林の原審公判証言が、客観的な資料と矛盾がなく、具体的かつ詳細で、不自然、不合理な点がない供述となるのは自然の成り行きと評価されたことを考慮して、職権で採用し、検察官側の事前の打合せを控えてもらって、時間が経ったとはいえ、証人自身のそのときの具体的な記憶に基づいて供述してもらおうと試みたものである。しかし、受刑中の中林が、当審証言に先立ち、原判決の判決要旨に目を通したという、当裁判所としても予測しなかった事態が生じたことから、当裁判所の目論見を達成できなかった面があることは認めざるを得ない。したがって、当審における中林の証言内容がおおむね原審公判証言と符合するものであるといった理由で、その信用性を肯定するようなことは当然差し控えるべきである。

このように判示して、控訴審での証言が骨格部分で一審証言と整合するから証言が信用できるとする検察官の主張を排斥しただけでなく、控訴審の中林証言は、事実認定にも信用性の判断にも全く使わなかった。つまり、裁判所にとって「予測し難い事態」が生じたことから、控訴審での中林証人尋問は「なかったこと」にしたのである。

そうであれば、状況は、中林証人尋問が行われる前の時点に戻るのであり、中林の証言の信用性についての検察官の立証が不十分であるということになるはずである。つまり、有罪判決を書ける状況にはない、ということである。

しかも、上記判示では、原審における中林証言について、検察官との間で「入念な打合せ」が行われた原審の中林証言は、客観的な資料と矛盾がなく、具体的かつ詳細で、不自然、不合理な点がないものであっても、それだけでは信用性を認めることはできないという、一審判決の指摘②オを受け入れたからこそ、検察官との打ち合わせを排除した証人尋問を行おうとしたのである。

それにもかかわらず、控訴審判決は、原審の証言が、客観的な資料と矛盾がなく、具体的かつ詳細で、不自然、不合理な点がないということを理由に信用性を認めて、藤井市長に、逆転有罪判決を言い渡した。

このように、上記判示との関係から、控訴審判決の判断・結論は、根本的な論理矛盾を犯している。

少なくとも、事実審理が終了し、検察官・弁護人の弁論が行われて結審した段階では、中林証言の信用性を認めて有罪とするだけの材料はそろっていなかったことは間違いないと考えられる。それを、敢えて村山裁判長が上記のような明白な論理矛盾を犯してまで「逆転有罪判決」に至ったのがいかなる理由なのか、謎である。

 

 

 

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村山浩昭裁判長は、なぜ「自分の目と耳」を信じようとしないのか

一昨日(11月28日)、控訴審逆転有罪判決を受けた藤井美濃加茂市長から、「判決要旨を入手して有罪判決について詳しく議会に説明するようにと強く要請されている」との連絡を受け、再三にわたって、名古屋高裁刑事2部の担当書記官に、「判決要旨」を交付してもらえるよう要請したが、「『判決謄本』ができるまで待ってほしい。弁護人には判決要旨は渡せない」との回答。それが、村山浩昭裁判長の方針なのだろう。

だが、判決言渡しの直後に、60頁以上に及ぶ判決要旨がマスコミに配布されており、美濃加茂市の担当記者は、みなその要旨を読んで取材している。いろいろコメントを求めてくる。ところが、当事者である藤井市長も、市民の代表が集まる市議会も、その判決要旨を入手できていなかった。

このような状況の中、本日、藤井市長が、直接、名古屋高裁に出向き、マスコミに配布されている判決要旨を交付してもらえるよう要請した。この要請には、森弓子美濃加茂市議会議長も、市議会を代表して同行し、同じように、市議会にマスコミ配布の判決要旨を交付してもらいたいと依頼した。

しかし、今回の事件を担当した高裁刑事2部の書記官は、「刑事2部(村山浩昭裁判長)としては、報道用の便宜供与として、マスコミには配布したが、当時者には渡さないという方針だ」との一点張りで、はねつけられてしまった。

「記者から写しをもらえば良いのではないか」と思われるかもしれない。しかし、前のブログ記事【控訴審逆転有罪判決の引き金となった”判決書差入れ事件”】でも述べたように、今回の事件で、我々弁護人は、最終弁論でも、控訴審での証人尋問の前に中林に藤井市長事件の一審判決要旨が差し入れられたことについて、「本来、判決要旨は、正確な判決報道をする目的に限定して裁判所から配布され、他の目的に使うことは固く禁じられているのに、マスコミから、事件の当事者ではない者に判決要旨が渡ったとすると重大な問題だ」と、強く主張している。そのような主張を行っている一方で、市長に、マスコミから判決要旨を入手するよう勧めることはできない。本来、刑事事件の判決要旨は、マスコミに配布された場合も、その後、他の目的に使用されないように厳重に管理されるべきであり、記者の判断で勝手に写しを渡すことを認めるべきではない。

それにしても、今回の控訴審で、「マスコミには判決要旨を渡すのに、被告人・弁護人には渡さない」という村山裁判長のやり方は理解不能だ。私の知る限りでは、これまで、マスコミに判決要旨を配布する場合は、当事者の検察官・弁護人にも渡すのが通例だ。判決は口頭で言い渡せばよく、その後、正式な判決書ができたら、被告人・弁護人に判決謄本を交付する、ということになっているので、それまでは、書面は一切渡せないというのも、「法律上は」間違ってはいない。しかし、その判決書の完成は裁判所次第であって、いったい何日後にできるのかもわからない。マスコミに判決要旨を配布するという「便宜」は、法律に基づかない「便宜」であるが、マスコミにその「便宜」を図るのであれば、その程度の「便宜」は、被告人・弁護人に対しても提供するのが当然ではないか。ましてや、今回の事件は、単なる一私人ではなく、現職市長の事件である。逆転有罪判決が報じられれば、その内容如何では、市議会で市長に辞職を求める動きが出ることも考えられる。説明が不十分であれば、市長は追い込まれることになる。村山裁判長は、自分が出した逆転有罪判決で、市長が政治的に追い込まれるのを望んでいるのだろうか。

ということで、判決要旨が入手できておらず、判決内容を正確に把握できないので、判決の詳細について書くことができないが、私なりに、今回、我々にとっては驚愕の判決が出たことに関して、わかってきたことがある。

一つは、村山浩昭という裁判長が、つい最近、他の一審無罪事件でも藤井市長に対する判決と同様の判決を出しているということだ。

名古屋弁護士会の金岡繁裕弁護士が、村山裁判長が最近出した逆転有罪判決のことを書いている【逆転有罪・・】というブログ記事によると、驚いたことに、そこで書かれている「逆転有罪判決」での事実認定のやり方、姿勢は、美濃加茂市長事件とほとんど同じようだ。金岡弁護士は、次のように書いている。

 第1審は、随所で検察官の立証不足を指摘した。

そこで検察官は、種々の証拠を新たに請求した。事実誤認を主張する論旨であるから、やむを得ない事由が必要になるが、全て第1審段階で可能・すべきものと見受けられた。そして今般の高裁判決も、そのとおり、「やむを得ない事由」はない、と認めた。

しかし、である。

高裁判決は、要旨「第1審の証拠関係からも第1審の事実誤認は相当程度明らか」と断じて、そのように、「自分たちは無罪だとは思わない」という姿勢に基づく職権探知を「制限される謂われはない」と開き直った。

「第一審の証拠関係」の中で最も重要なのは、裁判所で行った証人尋問、被告人質問などで、裁判官が直接、証人の証言や被告人の供述に接して形成した心証だ。被告人が無罪を主張しているのであれば、その被告人の言っていることが本当なのか。その被告人が罪を犯したと証言する証人の言っていることが本当なのか、自分の目と耳で確かめ、その上で有罪か無罪かの判断を下すのが、刑事裁判というものだ。

ところが、村山裁判長は、そんなことはお構いなしだ。「法律上、控訴審では、一審での証拠も含め、すべて事実認定の根拠にできるのだから、そのうちのどの証拠を使って、どのような判断をしようが、裁判長の自分が自由に好きなように考えればよい、一審の3人の裁判官が、直接話を聞いて『信用できない』とした証人の証言であっても、尋問記録という『書面』で判断して、合理的だとか、他の証拠と整合しているなどという理由で、『信用できる』と判断するのも勝手だし、一審で無罪判決を受けた被告人が毎回出廷し、ずっと目の前に座っていても、その被告人の話を聞きたくなければ、一度も聞くことなく、「有罪」を言い渡すことも全く自由にできるのが高裁の裁判長というものだ」と考えているようだ。

そんなことが、刑事裁判において許されてよいのか。それが刑事司法だと言えるのか。

特に、この事件は、5万6000人の市民を抱える首長である美濃加茂市長が収賄を疑われ、任意捜査当時から一貫して無実を訴え続けてきた結果、一審で無罪を得た後の控訴審である。逆転判決を下すことによる、美濃加茂市政、美濃加茂市民への影響に、少しでも思いをはせることができる裁判官であれば、一度も話を聞くこともなく、藤井市長の証言に信用性がないなどという判断ができるはずがない。

さらに重要なことは、今回の藤井市長の事件については、村山裁判長は、唯一の直接証拠である贈賄供述者中林の証人尋問を、裁判所が職権で行うという異例のやり方で、自ら直接その信用性を確かめる機会があったということである。その証人尋問は、検察官には事前の打合せを控えさせ、証人自身の生の記憶に基づいて供述させることを目的に行われたのに、それが、事前に受刑中の中林に藤井事件の一審判決書等の資料が送られたという、「予期せぬ事態」が発生したために、裁判所の目論見が実現しなかったことは、村山裁判長が、判決でも認めているとおりである。

しかし、実際に行われた中林の証人尋問では、裁判所の目論見に反するような資料の送付が行われた経緯や、中林が、控訴審で証人尋問を受けることついてどのように考え、どのような行動をとったのかということについて質問を行い、それに対して中林が証言した内容、その証言の姿勢等から、中林の証言が意図的な虚偽供述であるかどうかについての大きな手掛かりが得られたのである。

私は、証言内容から、中林が意図的な虚偽供述をしていることは、疑いの余地がなくなったものと確信した。弁護人最終弁論の冒頭で、控訴審での中林証人尋問の結果について25頁にわたって詳述し、中林が意図的な虚偽供述を行っていることは疑いの余地がないことを主張した。日頃は検察寄りの判決を予想することの多いマスコミも、今回ばかりは、控訴棄却無罪の方向で事前取材を進めていたようだ。

ところが、控訴審判決は、私が法廷で聞いた限りでは、この中林職権証人尋問の結果、中林の証言内容には「全く」触れていない。村山裁判長は、自分の目と耳でしっかり確かめることができたはずの中林の控訴審での証言を信用性の判断の根拠とせず、直接接していない、事件記録で見るだけの証言・供述に基づいて、直接接した一審裁判官が「信用できない」と判断した中林の一審証言を「信用できる」としたのである。そして、中林の控訴審証人尋問の結果に関する弁護人の主張も完全に無視し、判決では全く触れることもなかった。

村山裁判長にとって、刑事裁判とは何なのだろうか。生身の人間の生の声、生の表情を「自分の目と耳」で確かめるのではなく、事件記録、書面の上に存在している「事件」を、紙の上だけで片付けてしまえばよいということなのであろうか。

 

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控訴審逆転有罪判決の引き金となった”判決書差入れ事件”

「これまで警察、検察と戦ってきましたが、裁判所とも戦わなければならなくなるとは思いませんでした」

今も全国最年少、32歳の若き市長が、控訴審逆転有罪判決の直後に漏らした言葉だった。

控訴棄却で無罪判決が確定することを固く信じ、「美濃加茂市民 完全勝利」という垂れ幕まで用意して判決を待っていた美濃加茂市民は、落胆の淵に叩き落とされた。

ほとんど一審と同様の証拠に基づき、しかも、一審裁判所は、証人尋問、被告人質問を直接行って、その態度、言い方、表情等も参考にしつつ信用性を判断している一方、控訴審裁判所は、尋問記録の書面だけに基づいて、その内容だけで判断して、いともたやすく一審の無罪判決を覆してしまう。一審無罪の控訴審でそのようなことが許されるのか、信じ難い判決であった。

いつも検察寄りの判決を予想することの多いマスコミも、今回ばかりは、控訴棄却で無罪の方向で事前取材を進めていた社が多く、「破棄自判有罪」というのは想定外だったようだ。

袴田事件の再審開始決定では、死刑囚をいきなり執行停止で釈放するというサプライズを演じた村山浩昭裁判長は、「どちらの方向にも、大きくぶれやすい裁判官」という評判だったが、今回は、被告人の藤井市長にとっても、美濃加茂市民にとっても、最悪のサプライズとなった。

判決の中で、特筆すべきは、控訴審裁判所自ら職権で行った贈賄供述者中林の証人尋問の証言内容に、判決の理由でほとんど触れていないことだ。

控訴審の第一回公判は昨年の8月25日、そこで、贈賄供述者中林の取調べを行った中村警察官と、中林の融資詐欺の捜査を担当した検察官の証人尋問が採用され、警察官の証人尋問は、11月26日に行われた。その後、検察官の尋問は、弁護人の主張により尋問の必要が全くないことが明らかになって取り消され、その尋問が予定されていた12月11日の期日が取り消されて、その日、裁判所・検察官・弁護人の三者打合せが行われた。そこで、裁判長から「中林の職権証人尋問を検討する」との意向が示された。それから、裁判所における職権尋問実施の方法や、尋問事項に関する検討に期間が費やされ、中林の証人尋問が実施されたのは、今年の5月25日であった。

つまり、控訴審の事実審理が行われた期間約9か月のうち5ヶ月以上が、中林の証人尋問に関する対応に費やされたのである。

中林の職権証人尋問は、検察官との打合せ等に影響されない中林の「生の記憶」を確認するためのもので、それだけの期間を費やしても行う意味が十分にあるものだった。

しかし、検察にとっては、中林の生の記憶として全く証言できないということになると、中林証言が実質的に唯一の拠り所である検察にとって致命的な事態になりかねなかった。そこで、検察は、証人テストを行うことに強くこだわったが、村山裁判長に「証人テストは控えてほしい」とはねつけられた。今年2月、控訴審裁判所が中林の職権証人尋問を決定した時点で、検察は確実に追い込まれていた。

ところが、【美濃加茂市長事件、裁判所職権証人尋問を台無しにした”ヤメ検弁護士の資料送付”】でも述べたように、実際に行われた証人尋問では、融資詐欺・贈賄の罪で服役中の中林に、今回の証人尋問の実施について裁判所から正式の通知を受けるよりも前に、中林自身の裁判で弁護人だった東京の弁護士から、尋問に関連する資料として、藤井市長に対する一審無罪判決の判決書等が送られるという想定外の事態が起こった。中林が、藤井市長事件の判決を事前に読んでいたことがわかったのである。判決書を読めば、自分の捜査段階での供述も一審での証言内容もすべて書かれている。検察官と打合せを行ったのと同じことになってしまった。その想定外の出来事によって、追い込まれていた検察は、結果的に救われることとなった。

この控訴審での中林の職権証人尋問について、昨日の判決で、村山裁判長は、概要以下のように述べた。

弁護人が主張し、原判決も指摘するように、原審における証人尋問で、検察官が入念な打ち合わせを行ったため、中林の原審公判証言が、客観資料と矛盾がなく、具体的・詳細で、不自然不合理な点がない供述になるのは自然だと評価されたことを考慮して、職権で尋問を行った。

検察官側の事前の打合せを控えてもらって、時間が経ったとはいえ、証人自身の具体的な記憶に基づいて供述してもらおうと試みた。しかし、受刑中の中林が、証言に先立ち、原判決の判決要旨に目を通したという、裁判所としても予測しなかった事態が生じたことから、当裁判所の目論見は達成できなかった。

 

この「受刑中の中林が、証言に先立ち、原判決の判決要旨に目を通したという、裁判所としても予測しなかった事態」というのが、中林の元に、一審判決が差し入れられたということであり、控訴審判決では、それによって、尋問の本来の目的が果たせなかったこと、つまり、判決書差入れによって証人尋問が妨害されたことを認めたのである。

そして、控訴審での中林の証人尋問での証言内容についてはほとんど触れず、一審での証言内容だけで中林供述の信用性を判断して「合理的で、一貫していて関係証拠と符合している、関係者の証言で裏付けられている」、というような理由で、信用性を認め、信用できないとした一審判決の判断を「不合理だ」と排斥した。

つまり、控訴審裁判所は、中林の供述の信用性を判断するため、自ら証人尋問を行ったのに、それが「一審判決の送付・差入れによって妨害されて本来の目的を果たせなかった」というだけで完全に「なかったこと」にし、直接証言を見聞した一審裁判所が「信用できない」としている一審での中林証言について、検察官との長時間にわたる入念な打合せが証言に影響していることを認めながら、「信用できる」と判断したのである。

もう一つ、全く予想外だったのは、「破棄自判 有罪」という判決になったことだ。控訴審判決が、中林証言の信用性について一審判決と異なる判断をする可能性が仮にあるとしても、その場合は、中林証言と対立する藤井市長の供述、同席者Tの証言が信用できないといえるのかどうかを改めて判断しなければならないので、少なくとも、控訴審でも被告人質問をしたり、Tの証人尋問を行ったりした上で判断するのが当然で、それをやっていない以上、原判決を破棄する場合でも、一審への差戻ししかあり得ないと考えていた。

ところが、控訴審判決では、被告人質問も、Tの証人尋問もやらず、直接、その証言の信用性を確かめることなく、「信用できない」と判断して、逆転有罪判決を言い渡したのだ。

被告人供述を「信用できない」とする理由として挙げたのは、中林が現金を渡したと証言している会食の際の「記憶が曖昧」だということだった。

しかし、この事件の裁判を傍聴してきたジャーナリストの江川紹子さんも、

《名古屋高裁は、藤井市長の記憶が曖昧だから信用できないとばっさり。でも、事件に関わっていない人に、1年半前の特定の日の出来事をつぶさに覚えていろという方が無理では。布川事件の杉山さんがよく言っていた…犯人にとっては忘れられない特別な日でも、俺にとっては何でもない普通の日だった」》

とツイートしているように、検察官との長時間にわたる「打合せ」で綿密に証言を作り上げてきている中林と、身に覚えのないことで1年半前の出来事を尋ねられている藤井市長とで、法廷で話す記憶の程度に大きな差があるのは当然だ。一審は、そのような被告人供述に何の疑問も指摘していない。それなのに、控訴審判決は、毎回公判に出廷していた藤井市長に全く話を聞くこともなく、「記憶が曖昧だから信用できない」としたのである。

また、中林と藤井市長との会食に同席していたTの証言は、一審では中林供述の信用性を判断する極めて重要な証人と位置付けられ、証人尋問が行われたものだが、控訴審判決は、その証言を直接確かめることもなく、同意された調書を断片的に取り上げて、Tの証言の信用性を疑問視した。

控訴審判決は、まさに、なりふり構わず有罪判決に向けて突っ走ったと言える。

その「引き金」となったのが、藤井市長事件の一審判決書が受刑中の中林に送られて差入れられたことである。

中林は、一審の弁護人だった弁護士に、資料の送付を依頼した理由について「全く何もかも覚えてないでは困るなというふうに私の中で思った」と証言している。つまり、そのままの状態で、何の打合せもなく、資料を読むこともなく証人尋問に臨めば、「何も覚えていない」ということになりかねないことが、弁護士に資料送付を依頼した理由だったと証言している。

一方、実際に行われた中林の控訴審での証言と、一審判決書の記載とを比較してみると、中林が、差し入れられた判決書を熟読して証言を用意してきたものであることは明らかだ。

もし、裁判所の目論見どおり、中林が検察官との打合せも、事前の資料送付も何もなく証人尋問に臨んだとしたら、中林には「生の記憶」はほとんどないことが露呈し、一審での証言は、検察官との打合のとおりに証言したに過ぎないことが明らかになっていたはずだ。

ところが、中林の一審弁護人が判決書を差し入れたことによって、状況は大きく変わった。控訴審の事実審理の期間の3分の2近くもの期間を費やして行った中林職権証人尋問が、裁判所の目論見どおりのものではなくなった。控訴審の事実審理の目玉であった中林職権証人尋問の意味が稀薄になったことで、裁判所は、検察官との長時間にわたる綿密な打ち合わせで塗り固めた中林証言中心の一審の証拠のほうにばかり目を向けていった。それが「引き金」となって、控訴審判決は、有罪の方向に暴走していった。

不可解なのは、「判決書差入れ・証人尋問妨害」が行われた経過である。証人尋問に重大な影響を生じさせたのが、藤井市長の一審の判決書だが、本来、それは、同事件の当事者や弁護人等でなければ入手すること困難なものである。中林の弁護人が、なぜその判決書を入手することできたのかについても重大な疑問がある。

この点について、検察官は、弁論で、「検察官は、当審中林証言後、中林の元弁護人から、中林に差し入れた被告人の判決書とは、マスコミから入手した判決要旨であることを確認するとともに、マスコミ用の判決要旨が、判決書と同様100頁近いものであることを確認した。」などと述べているが、裁判所が判決要旨をマスコミに配布しているのは、被告事件の正確な報道のための特別の便宜供与であり、それ以外の目的に流用することは固く禁じられている。それが、マスコミから流出し、尋問予定の証人に事前に送付されて証人尋問に重大な影響を生じたとすれば、看過し難い重大な問題だ。

検察官が弁論で述べている「弁護士がマスコミから入手した」というのが果たして事実であるのか疑問だ。この点も含め、控訴審に重大な影響を与えた控訴審での「判決書差入れ・証人尋問妨害」について、真実が解明されなければ、藤井市長も、美濃加茂市民も、到底納得することはできないであろう。

判決の翌日、まさに大きな問題になっているのが、村山裁判長の「判決要旨」の取扱いだ。今回のような社会の耳目を引く事件では、通常、判決言渡し後に、判決書の全文に近い「判決要旨」が配布される場合が多い。弁護人から書記官に対して、判決前に、後で判決書か判決要旨、あるいは項目メモでも渡してもらえないのかを聞いたが「本日渡せるものはない」との答えだった。そのため、弁護団は、村山裁判長が2時間半、相当な早口で原稿を読み続けて言渡した判決を走り書きでメモしただけで、判決後の記者会見に臨み、その後、美濃加茂市における判決内容の市議会への説明や、市民向けの説明会に出席した際にも、判決内容については大まかな説明しかできなかった。

ところが、本日、記者の話で、昨日、判決言渡し直後に裁判所からマスコミに判決要旨が配布されていたことがわかった。藤井市長が、市議会から、判決要旨を入手したら声明を出すように要請されたので、弁護人からすぐに担当書記官に連絡し、マスコミに配布された判決要旨で構わないので交付して欲しいと求めたが、裁判長に確認した書記官は、「弁護人には渡せない」とのことだった。

裁判の当事者である被告人の弁護人に対して、「判決要旨」という判決内容を正確に記載した書面を交付せず、なぜかマスコミには判決直後に渡すというやり方は、藤井市長だけでなく、5万6000人の美濃加茂市民に対する「嫌がらせ」としか思えない。

市民に選ばれた美濃加茂市長に対して、一審判決とほぼ同じ証拠に基づいておきながら、「有罪ありき」の方向で証拠を評価し、市長の話を一言も聞かず、いきなり有罪にするという、不当極まりない判決を出した村山裁判長にとって、マスコミに便宜を図ることは大切だが、市民や市議会に対する便宜を図るつもりはないということなのだろう。

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「拙速で無理な懲戒処分」に表れた「小池劇場」の“行き詰まり”

小池百合子東京都知事が、11月25日の定例会見で、都幹部18人の減給の懲戒処分と、退職者に対しては給与自主返納の要請を行うことを発表した。

11月23日にアップしたブログ記事【「小池劇場」で演じられる「コンプライアンス都政」の危うさ】でも指摘したように、今回の処分の根拠とされた「第二次自己検証報告書」は、凡そ調査報告書の体をなさない杜撰な内容であるだけでなく、技術会議報告書の結論を、「敷地全体に盛り土をするのが都の整備方針とされた」という方向に歪曲している疑いもある。同報告書は、懲戒処分の根拠となるものとは到底言えない。

毎日新聞の記事【盛り土問題 世論意識、処分急ぐ 都知事、責任解明できず】でも適切に指摘されているように、今回の懲戒処分は、小池氏が拙速にこの問題の「幕引き」を図ったものと評さざるを得ない。

今回の懲戒処分には多くの無理がある。

「小池劇場」を演じることで、世論の大きな支持を得てきた小池氏だが、ここに来て、状況が徐々に変わりつつあることに気付いていないようだ。

私の【前回ブログ記事】は、同氏が世の中から圧倒的な支持を受けている中、多くの反対意見を覚悟の上で、豊洲市場問題への小池氏の対応を批判したものだったが、同記事は、BLOGOS・ハフィントンポストにも転載され、ブログのコメントやツイッターでの反応も多くが好意的だった。豊洲市場問題を、冷静に客観的に受け止め、小池氏の対応に疑問を持つ読者が増えていることが窺われた。

ツイッターで、「豊洲市場」を検索してみると、今回の小池知事の都幹部懲戒処分の発表に関して、批判的ツイートが多く並ぶ。「小池劇場」の観衆の雰囲気は、確実に変わりつつあるようだ。

そんな中、小池氏は、25日の記者会見での、都幹部懲戒処分に関する質問に対しても、明らかに不合理な回答でごまかしている。

前出の毎日新聞記事を書いたと思える記者からの質問で、「通常の懲戒処分は大体6ヶ月以上かかると言われる中で、処分の時期が早いのではないか」と質問され、小池氏は、

法曹界の方々を含めたご意見を聞き、今回の結論に至ったわけでございまして、決して、早すぎるから、という話ではないと思います。むしろ、市場関係者の方々からすれば、早すぎるということは全くないんじゃないだろうかと、全てが遅すぎると思われていると思います

と答えている。

「市場関係者からすると全てが遅すぎる」というが、市場関係者の多くは、小池知事が移転延期を発表して以降、混乱が続き、未だに先が見通せない豊洲への市場移転問題の早期決着を求めているのであり、都の幹部の懲戒処分が早いか遅いかなどには、誰も大きな関心を持ってはいない。

また、「法曹界の方々」からも意見を聞いたというのであるが、それは一体誰なのだろうか。処分の妥当性について弁護士見解を得ているというのであれば、その弁護士名を明らかにし、責任の所在を明確にすべきであろう。

そもそも懲戒処分の根拠とされている「事実」自体に問題があるという点を別にしても、懲戒処分の妥当性という面から考えると、今回の「5分の1減給6か月」というのは、明らかに重すぎる。刑事事件の量刑で言えば、「法定速度を20㎞オーバーしたスピード違反」を、法定刑の上限である「懲役6月」に処するようなものだ。まともな弁護士であれば、「適切な処分だ」とは言わないであろう。

今回、小池氏は、都幹部への処分と併せて、「就任前の事案ではあるが、自らけじめをつけるという意味で、知事給与の5分の1を自主返上する」として給与自主返上の方針を明らかにしている。それは、おそらく、知事給与を半額に削減する条例案の提出で、都議の給与が知事を大幅に上回り、都民から都議の給与引き下げを求める声が出る状況を作って都議会議員をゆさぶったのと同様の発想で、本来は責任のない現知事として給与自主返納を打ち出すことで、本来責任を問われるべき当時の知事の石原慎太郎氏にプレッシャーをかけることを意図したものかもしれない。

しかし、そもそも、都幹部に対する懲戒処分の前提事実自体に根本的な疑問があるのであり、それに関連して、都知事給与の自主返上を打ち出すことが、石原前知事に対してどれだけの効果があるのか疑問だ。

「小池劇場」の第1幕「豊洲市場・盛り土」を早期に幕引きして、第2幕への観衆の期待を高めようとしたのだろうが、ラストシーンで主演監督自身が唐突に舞台に登場せざるを得なかったところに、このストーリーの苦しさが透けて見える。

「小池劇場」も、行き詰りつつあるように感じざるを得ない。

 

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「小池劇場」で演じられる「コンプライアンス都政」の危うさ

前回ブログ記事【小池都知事「豊洲市場問題対応」をコンプライアンス的に考える】で述べたことを踏まえ、今回は、小池知事が指摘した「豊洲市場の建物の地下に『盛り土』をせず地下空間を設置した問題」について、これまでの経緯と現状を具体的に検証し、小池知事と東京都の対応のコンプライアンス的視点からの分析・評価を行う。

上記ブログ記事でも予告していたものだが、専門家会議、技術会議についての会議資料に基づく法的検討等に想像以上の時間を要した。かなりの長文になるが、末尾の「本件について都知事として行うべきであった発言・説明についての私案」とともに、一挙に掲載することとしたい。

小池氏の「コンプライアンス対応」が招いた「最悪の事態」

小池氏が9月10日の「緊急会見」で述べたことは、以下のように整理できる。

(a)敷地に全面盛り土をすると情報開示していたが、誤りがあったので訂正する。

(b)建物の地下に盛り土をせず地下空間を設置したことは、「専門家会議」の提言に反しているので、土壌汚染対策の安全性についてオーソライズされておらず、行政的にも問題がある。

(c)したがって、盛り土をせず地下空間を設置したことで安全性に問題がないのかを、「専門家会議」に意見を求めなければならない。

(d)行政手続的な問題や情報公開が誤っていた問題について市場担当者や当時の担当者等に話を聞く必要がある。

これら(a)~(d)の小池氏の発言は、コンプライアンス的に見ると、形式的には一応正しい。この時点での小池氏の発言や示した方針は正当なもので、特に問題はないように思える。

しかし、その小池氏の知事会見での「コンプライアンス的対応」を契機とする豊洲市場問題のその後の展開が、市場関係者にとっても、最終的に損失を負担することになりかねない都民にとっても、最悪の事態となっていることは明らかである。

11月18日の都知事定例会見で小池氏が明らかにしたところによると、専門家会議や市場問題PT等での検討の結果、豊洲市場の安全性が確認された場合でも、移転時期は早くて1年後の2017年冬から2018年春、環境アセスメント(影響評価)をやり直す場合は、さらに1年程度延びるとのことである。

それによって、既に完成している豊洲市場の施設の維持管理費に一日約500万円(年間では20億円近く)かかるのに加えて、豊洲への移転を前提に既に設備を導入し稼働させている業者、必要な要員を確保して人件費をかけている業者への補償、老朽化した築地市場の維持補修のための費用等、移転が遅延したことのよる最終的な費用が、膨大な金額に上ることは必至である。

豊洲への移転の延期に伴って、老朽化した築地市場の使用を継続しなければならないことの問題も深刻だ。音喜多都議が、ブログ記事【豊洲市場に「ゼロリスク」を求め続けるとどうなるか?冷静に検証してみた結果…[築地移転問題]】でも指摘しているように、現在の築地市場には、小型ターレトラックと大型トラックの動線が混在し、さらにそこに観光客などの歩行者が加わるという、一般常識からは考えられない混沌とした交通環境になっており、交通事故も多発している。また、平成27年に、場内洗浄や活魚用水に使用されている濾過海水から、発がん性物質である「トリハロメタン」が環境基準値を超えるレベルで検出されている問題のほか、いまだに市場内に残置されているアスベストの問題などもあり、そのような劣悪な環境下で、生鮮食品の市場が今後も長期間運営され続けること自体が、都民にとって重大な不利益となっている。

今後必要となる「業者への補償」の原資について、小池氏は、11月18日の定例記者会見で、記者の質問に答え、「基本的には“市場会計”という独立したものなので、それをベースにする」、「市場という独立性のあるものの中で処理する。」と述べているが、そもそも、今回の移転延期は小池氏が都知事として決定したものであり、業者には何の責任もない。「独立した“市場会計”の中で処理する」ということになると、市場会計が市場参加者の業者の負担で成り立っている以上、何らかの形で負担を業者に求めることになる。全くの筋違いであり、業者側は到底応じられないだろう。

今回の豊洲への移転延期の長期化による損失が、都の一般会計に巨額の負担、すなわち都民の税金による直接の負担を生じさせることは避けがたい。

小池氏が指摘した「オーソライズされていない」と「行政的な問題」

小池氏は、9月10日、土曜日の「緊急会見」を行う際に、今回の「盛り土・地下空間」問題を、どのような問題ととらえていたのか。

まず、「敷地全面に盛り土を行っている」を情報開示・説明をしていたのに、実際には、建物の下は盛り土をせず地下空間が設置されていたのであるから、東京都の情報公開に問題があったことは間違いない。小池氏は、まず、この点を指摘し、訂正している。重要なことは、東京都という行政組織が「情報開示の誤り」という問題を起こしたのであるから、小池知事は、その組織のトップの東京都知事として、都民に謝罪をしなければならないということだ。ところが、小池氏は、他人事のように「訂正します」と言っているだけで、全く謝罪を行っていない。当時の石原知事個人の問題と「東京都の組織」の問題とが区別されていないように思える。

「情報開示が誤っていた」という問題だけであれば、基本的には情報開示の内容を「訂正」して、十分に周知と謝罪をすればよい話である。重要なのは、それ以上に実質的な問題があるか否かである。ところが、小池氏が問題にしたのは、建物の地下に盛り土をせず地下空間を設置したことが、「専門家会議」の提言に反しているので、「土壌汚染対策の安全性についてオーソライズされていない」ことと、そこに「行政的な問題がある。」という点であった。

「オーソライズ」という言葉の正確な意味は「正当と認めること。公認すること、権能を与えること。」である。

つまり、「土壌汚染対策の安全性についてオーソライズされていない。」という小池氏の指摘の意味は、土壌汚染対策の安全性は、専門家会議が認めることによって初めて、東京都が決定した土壌汚染対策として「正当」とされるのであり、「専門家会議のオーソライズ」がないと、いかなる方法であっても(誰が安全だと言っても)、正当なものとは認められない、という意味であろう。そして、小池氏は、「正当」とは認められないまま、「建物の地下に盛り土をせず地下空間を設置する」という方法がとられていたことが「行政的な問題」だとしたのである。

問題は、「専門家会議」が、そのように、土壌汚染対策の「正当性」を認める「権能」を持つような存在なのか否かである。この点に関しては、「専門家会議」の設置目的、法的位置づけと、その構成メンバーの専門性の両面から疑問がある。

「専門家会議」は地方自治法上の「オーソライズ機関」ではない

官公庁・自治体では、行政上の決定に関して、審議会・委員会等の外部者による審議・検討を行うという方法がとられるが、この場合、審議会・委員会が、本来の「オーソライズ」、つまり、決定を正当化する「権能」を持つものとして設置されるのであれば、法令上の根拠が必要となる。地方自治体の場合、意思決定が行政を拘束するような機関として設置されるのであれば、地方自治法138条の4第3項で「条例」による設置が求められる「附属機関」でなければならない。しかし、「専門家会議」は、条例上の根拠に基づいて設置されたものではなく、同法の「附属機関」には該当しない。したがって、「専門家会議の提言」は、行政的には、東京都にとって「参考意見」にしか過ぎず、決定を「オーソライズ」するものではない。

「専門家会議」の設置目的は、「生鮮食料品等を扱う豊洲新市場において、食の安全・安心を確保する観点から、東京都の土壌汚染対策の妥当性等について検討し、評価・提言を行うこと」とされているが、都民向けの説明では、「東京都は、現行法令に照らして問題のない水準で、土壌汚染対策を行うこととしていますが、都民や市場関係者の一部になお懸念の声があります。市場が生鮮食料品を扱うことの重要性から、都民が安心できる市場とするため、土壌汚染対策等を検証する専門家会議を設置しました。」とされている。このことからも、主として、豊洲市場の土壌汚染対策の安全性について、都民の「安心」を確保するという性格が濃厚だったと考えられる。

そして、「専門家会議」のメンバーは、環境管理、水質、土質等の専門家だけで構成され、そこには、建築、土木等の専門家は含まれていない。このメンバー構成からしても、専門家会議が、「建物の地下に盛り土をせず地下空間を設置する」という建物の「建設」に関する土木工事・建築工事の具体的内容も含めた土壌汚染対策についてまで、「正当化のための権能」を与えるような会議体ではないことは明らかである。

つまり、「専門家会議」の実際の目的は、東京都の豊洲市場の土壌汚染対策が、「環境の専門家」の立場から見て、全体として安全性を確保するために十分なものであることについて、慣用的な意味の「オーソライズ」、つまり、都民向けの「お墨付き」「権威づけ」を与えるものだったのである。

「技術会議」の設置目的と法的位置づけ

「敷地全体に4.5メートルの盛り土をする」という土壌汚染対策の方針は、法律上の要請はもちろん、環境の専門家が十分な対策と評価する内容だったと言える。しかし、実際に、それを豊洲市場での整備事業の中で具体化していく場合に、建物の地下の土壌汚染対策を、それ以外の場所と同様にすべきなのか、それとも、別の方法をとるべきなのかについて検討する必要が生じる。その点については、環境の専門家だけではなく、土木、建築等の専門家も加わって検討する必要がある。そのために設置した外部者による会議が「技術会議」であった。

そして、この会議も、条例上の根拠に基づく「附属機関」ではないのであるから、東京都の決定が、「技術会議」の決定に拘束されるというものではないが、少なくとも、「建物下に盛り土をせず地下空間を設置する」ということの是非を検討するとすれば、それは、「専門家会議」ではなく「技術会議」であったことは明らかである。

「行政的な問題がある」とは言えない

東京都にとっては、「専門家会議」の提言も、「技術会議」の意見も、参考意見に過ぎないのであり、小池知事の会見での「土壌汚染対策の安全性についてオーソライズされていない。」という発言が、「正当化」「権能を与える」という意味で「オーソライズ」という意味であれば正確ではないし、その「専門家会議の提言に反した」ということだけなのであれば、法的には「行政的な問題がある」ということにはならない。

「建物の地下に盛り土をせず地下空間を設置する」という方針が、石原知事をトップとする当時の東京都の行政組織の中で正当な手続で決定されたものであれば、それが、「専門家会議」の提言に反したものであったとしても、「行政的」には問題はなかった。

「行政的な問題」があるとすれば、地下空間設置の方針が、どこで、どのように決定されたのかが不明確だということであり、それは東京都という行政組織の「ガバナンスの問題」である。それを問題にするのであれば、石原都知事の対応を含めて考えることが不可欠のはずだ。

そのガバナンス問題を別とすれば、「盛り土・地下空間」の問題というのは、「土壌汚染対策全体について『専門家会議』による権威づけが行われている」という都民向けの「情報開示」が誤っていたことと、建物地下の土壌汚染対策に関する都議会での東京都の答弁・説明の内容が誤っていたことという二つの面での「情報開示・説明の問題」なのである。

「技術会議」は、「盛り土せず地下空間設置」を否定してはいない

では、実際のところ、「建物下で盛り土せず地下空間を設置する」という方法について、「専門家会議」を受けて具体的な工法を検討するために設置された「技術会議」でどのような議論が行われたのか。

全面公開された会議の経過と結果に関する資料を見る限り、少なくとも、技術会議では、「建物の地下に盛り土をせず地下空間を設置する」という方法自体についてはほとんど議論が行われておらず、肯定も否定もしていない、というのが実際のところである。

技術会議に対して、「盛り土をせず地下空間を設置すること」が一つの案として提示されていたことは、第8回の技術会議の資料から明らかである。東京都の「自己検証報告書」(「第一次報告書」)では、第8回技術会議について、

都は「土壌汚染対策と地下水浄化の対策をした後、地下水質のモニタリングを行い、さらに万一、地下水中から環境基準を超える汚染物質が検出された場合には、汚染地下水の浄化が可能となるよう、建物下にこれらの作業空間を確保する」と説明した。

第9回技術会議について

技術会議が独自に提案した事項として、汚染物質の除去・地下水浄化の確認のため、『国が検討している土壌汚染対策法改正が行われ、豊洲新市場予定地が同法の対象となった場合にも、地下水質のモニタリングができるよう観測井戸を設置し、指定区域の解除が可能となるような対策とする。なお、仮に地下水中から環境基準を超える汚染物質が検出された場合には、汚染地下水の浄化ができるよう建物下に作業空間を確保する必要がある』とした。ただし、地下とするか否かについての言及はない。

と記述していた。

このうちの「技術会議が独自に提案した事項として」の部分が誤りであったとされ、第二次自己検証報告書(「第二次報告書」)で、「『技術会議報告書の構成』案を事務局から提案したが、その中で」と訂正されたが、第8回会議と第9回会議で、「地下空間」についての記述自体は訂正されておらず、事務局側から「建物下に作業空間を確保する」との提案が行われ、議論が行われたことは明らかである。会議資料の中には、「建物建設地にはモニタリングのための地下空間を設置し、建物建設地以外は埋め戻しをする」という具体的な案も提示されている。

問題は、その「建物下にモニタリングのための地下空間を設置する」という案について技術会議での検討の結果、どのような判断が示されたかである。第9回会議では、「委員」から「土地の利用、機能、価値の問題が、経費に対して十分プレイバックされない」との指摘が行われているが、ここでの「地下空間」に対する反対理由は、かかる経費に見合う機能・価値が期待できないということであり、建物下に盛り土を行わないことの「安全性」の問題ではない。

技術会議では「地下空間」については、それ以上の議論は行われた形跡がない。結局のところ、「建物下にモニタリングのための地下空間を設置する」という事務局の案に対しては、「機能、価値が経費と見合わないのではないか」との意見が出たのみである。

第一次報告書の、

端緒となる第1段階は、技術会議においてモニタリング空間に関連する議論が行われていた時点である。第4回技術会議(平成20年10月21日)では、委員から地下水の長期モニタリング及び処理の必要性についての発言があり、第8回技術会議(平成20年12月15日)においてとは、モニタリング空間の必要性を説明している。第9回技術会議(平成20年12月25日)においても、技術会議の独自提案としてモニタリング空間が提示された。土壌汚染対策に万全を期す機運がこのころから醸成されていった。

という記述も、訂正された「技術会議の独自提案として」という点以外は、技術会議での「モニタリング空間」についての検討状況全体についての概ね正しい記述なのである。

「技術会議が独自に提案した事項として」という第一次報告書の当初の記述も、「その案を技術会議の側が全く独自に提案した」という意味だとすれば事実と異なるが、一般的には、このような外部者会議の独自提案というのは、原案を事務局が示し、それを会議で議論した上で「会議の独自提案」とすることが多いのであり、全くの誤りという程のものではない。少なくとも、公開された官公庁の行政文書に「赤文字による訂正」を記入するという「前代未聞の措置」を行うほどの重大な誤りだったとは思えない。

「第二次自己検証報告書」による技術会議報告書の「歪曲」

そして、その「第一次自己検証報告書」を訂正し、真相に迫ったとされている「第二次自己検証報告書」では、「豊洲新市場整備方針の策定(平成21年2月6日)」として、

平成21年2月6日、石原知事決定の『豊洲新市場整備方針』(以下、『整備方針』という)が策定された。技術会議の提言内容(敷地全面A.P.+6.5mまでの埋め戻し・盛土)をもって都の土壌汚染対策とすることが明記された。これにより、専門家会議、技術会議の提言は、都の方針となった。

と記述されている。

しかし、ここで「敷地全面A.P.+6.5mまでの埋め戻し・盛土」と書かれているのは不正確である。技術会議報告書には、「エ 埋め戻し・盛り土」の項目の中に、小項目として「①砕石層設置」「②埋め戻し・盛り土」が設けられ、「砕石層設置」については「敷地全面にわたり、A.P.+2mの位置に厚さ50㎝の砕石層を設置する」と書かれているが、「埋め戻し・盛り土」については、「砕石層設置後、計画地盤高(A.P.+6.5m)まで埋め戻し・盛り土を行う」と書かれているだけで、「敷地全面にわたり」とは書かれていない。基本的には、「砕石層の上に6.5m埋め戻し・盛り土を行う」という方針であることは明らかであるが、モニタリングのための地下空間を設置することにした場合にも、6.5mの「盛り土」を行った上で、設置することが必要だという趣旨かどうかは不明である。

モニタリング空間を設置した場合にも、「全面盛り土」を維持するとすれば、建物の床面は、空間の高さだけ周囲からレベルアップすることになり、その場合には、自動車等のアクセスのための誘導路の設計等が問題になるが、そのような検討が行われた形跡はない。前述したように、技術会議での議論からは、「建物下にモニタリングのための地下空間を設置する」という方法が、土壌汚染対策の安全性の観点から否定されたとは思えない以上、技術会議報告書の内容と、それを受けて策定されたとされる「豊洲新市場整備方針」が、例外なく敷地全体にわたって「盛り土」を行う方針だったと断定することには無理がある。技術会議の報告書で「敷地全面にわたって盛り土」を明記したとする「第二次検証報告書」には、技術会議の意見を「全面盛り土・地下空間否定」の方向に歪曲している疑いがある。

専門家が評価する「建物下盛り土せず地下空間設置」

既に述べたように、専門家会議も技術会議も、条例上の根拠に基づく「附属機関」ではないのであるから、東京都が「技術会議」の決定に拘束されるものではない。実際に土木工事・建築工事の設計・施工については、東京都が、専門家会議の提言や、技術会議の報告書を尊重しつつ、適切に決定していけばよいのである。

もちろん、最終的にとられた「建物下は盛り土をせず地下空間を設置する」という方法が、土壌汚染対策の客観的な安全性に関して問題がある、というのであれば、話は別であり、豊洲への市場移転を根本的に見直す必要がある。しかし、今回の豊洲市場への移転の遅延の原因となった「建物地下に盛り土をせず地下空間を設置する」という方法に関しては、現時点では安全性に関する具体的な問題は指摘されていない。むしろ、建築・土木の専門家の立場からは、「空間があることで地下水と地上階を遮断することが可能となるため、より衛生的である。」(【築地移転・豊洲問題:「地下室」の方が「盛土」よりも衛生的で安全である、という技術論】 藤井聡氏)、「汚染物質に対するコンクリートの遮蔽性は高く、床を透過する危険性はほとんど論じられていない。」(【「盛り土」「地下空間」「汚染物質」 ── 豊洲市場問題とは何だったのか】 若山滋氏)といったように、建物地下に盛り土を行わず地下空間を設置したのは、安全面でも優れた方法だったとの意見が多く、「地下空間肯定論」に対する専門的見地からの批判はほとんど見られない。また、市場問題PT第1回会議において、専門委員である建築家の佐藤尚巳氏は、座長が冒頭に、当面はプロジェクトチームの対象外だとした地下空間について、「非常に大きな誤解」があるとして敢えて言及し、地下空間はコスト削減・保守メンテ性・地下水の管理という面からも「非常に有効な空間」であり、「作ったのは都の技術系職員の英知だと思う」「正しい選択であった」と述べた。

不毛な「地下空間設置・盛り土一部不実施」の犯人探し

小池知事が「地下空間設置・盛り土一部不実施」の一点に問題を集中させ、「それを、いつ誰がなぜ決定したのか」という課題設定を行い、徹底調査するよう指示した。その方針にしたがって、東京都の内部調査が行われ、9月30日に調査結果が公表されたが(第一次報告書)、そこでは「行為者」「責任者」が特定されていなかったことに批判が集中した。そして、10月7日に、自己検証報告書中で、「技術会議が独自に提案した事項として」「建物下に作業空間を確保する必要がある」としていたのが誤りだったとされたことが契機となって再度の調査(第二次自己検証)が行われ、11月1日に第二次報告書が公表された。

小池氏が、その調査結果の公表で、退職者も含む東京都幹部8人を責任者として特定し、「懲戒処分の手続に入る」と明言したことに、世の中の多くの人は、「東京都の組織の古い体質に大ナタを振るった」と評価し、拍手喝采を送っている。

このような経過から、世の中の多くの人には、東京都の幹部が、内部調査であることをいいことに、自らの責任追及を免れるために、建物下で盛り土をせず地下空間を設置したことの責任を技術会議に押し付けようとしたが、それが嘘であることがバレてしまい、第二次自己検証の結果、真相が解明されて、東京都の幹部に対して「正義の鉄槌」が下った、と受け取られているようだが、それは、「小池劇場」の演出によるところが大きいと言うべきであろう。

「第二次自己検証報告書」の認定と判断

小池氏が、「盛り土」問題について、東京都の幹部8人を処分する根拠としている第二次報告書では、

いつ、どの時点で誰が「建物下に盛土をせず地下にモニタリング空間を設置する」ことを決定したのか

がサブタイトルとされ、「それを決定した者を責任者として特定すること」に全精力が注がれている。しかし、その内容は、「十分な根拠もなく認定した事実に基づいて、(小池知事の意向に沿って)責任を(無理やり)肯定した」というものであり、まともな組織の「調査報告書」とは言い難いものだ。

同報告書では、前述したように、第一次自己検証報告書の「技術会議が独自に提案した事項として」の部分を訂正したほか、基本設計に関する中央卸売市場新市場整備部と日建設計との間の具体的なやり取りが明らかにされ、同部が当初から、建物下にモニタリング空間を設置し盛り土をしない方針で臨んでいたこと、平成23年8月18日の部課長会で、その方針が確認されたことを認定している。そして、「部課長会のメンバーは、当日出席したか否かにかかわらず、当該部課長会において、整備方針に反して、建物下に盛り土をせず地下にモニタリング空間を作ることを了解したと判断する。」との判断を示し、当時在籍していた新市場整備部の部長級職員には「整備方針に反して地下空間設置を進めていた責任」、新市場整備部長には「上司の市場長、管理部長に報告・説明等をしなかった責任」、管理部長には「地下空間設置を知り得る立場にあり、新市場整備部に必要な措置をとるよう調整すべき立場にあったのに、職責を全うしなかった責任」があるとされ、市場長は、「事務方の最高責任者として責任」を免れないとされている。

しかし、既に述べた専門家会議・技術会議の法的性格、メンバー構成、技術会議での議論の内容からすると、「建物下に盛り土をせず地下にモニタリング空間を作ること」が東京都の整備方針に反しているとは言えない。地下空間を含む最終的な建物の設計を、いつ、誰が、なぜ決めたのかが、手続上明確になっていないということは、東京都が組織として明確に意思決定しなかったことについての「ガバナンスの問題」である。建物下での「地下空間」の設置と、それに伴う「一部盛り土不実施」だけを取り上げて、それを決定した行為を「行政上の問題」にし、都幹部の懲戒処分を行おうとしているが、いずれも、責任の根拠は、「決定」などとは到底いえない極めて曖昧で抽象的なものにすぎず、法的にもコンプライアンス的にも正当とは言えない。特に、東京都の行政の最高責任者である当時の石原知事の責任を除外して、具体的な根拠もなく、市場長に「事務方の最高責任者」として責任を問うのは明らかに不当である。

小池氏のマスコミ等への対応の問題

これまで述べたように、今回の「盛り土・地下空間」に関する問題が、当時の東京都のガバナンスの問題と、都民への情報開示や都議会への答弁・説明の誤りであることを前提に考えた場合、9月10日の「緊急会見」を起点とする小池知事のマスコミや都民に向けての対応はどう評価すべきであろうか。

市場の整備が終了し、移転を待つ段階の現在においては、問題が都民の「安心」に影響することを最小限にとどめることができるよう、「客観的な安全性」に直接影響する問題ではないことを十分に説明しつつ、「情報開示・情報公開」に関する問題を指摘していくべきであった。

しかし、9月10日の小池知事会見以降、「豊洲市場」の問題を指摘する報道において、移転を進めてきた(小池知事就任前の)東京都を批判する報道が過熱し、「土壌汚染対策は十分なのか」「食の安全は確保できるのか」といった世の中の懸念は一気に高まった。

共産党都議団が視察時に撮影したと思える「豊洲の地下空間の大量の水たまり」の写真が繰り返し映し出され、テレビで水に浸したpH試験紙が青色に変わったことから地下空間の水がpH12〜14の強アルカリ性であることが示され、「なんらかの化学物質が影響しなければこれだけの強アルカリ性にはならない。」との共産党都議団の主張がそのまま紹介されたり、民間検査機関の分析結果を公表し、1リットルあたり0.004mg(環境基準は0.01mg)の微量のヒ素が検出されたとの発表が取り上げられたりしたことで、多くの視聴者は、豊洲市場の地下空間は「土壌汚染による汚染水がたまっている空間」だと考えるようになった。

「建築の専門家」と称する人物による建築構造批判を、テレビ番組が無検証で報じるものもあった。「欠陥」の主なものとしては、①床の積載荷重不足(「床が抜ける」)、②耐震強度不足、③地下への重機搬入口がない、などがあったが、いずれも誤った根拠に基づいた内容だということがわかった。

東京都議が視察時に撮影した写真から、加工パッケージ棟4階の柱が傾いているのではないかとの情報提供を受けて、民放の報道番組で「柱が傾いている」という放送が行われたが、即座に、都職員や別の都議が検証実験を行った結果、柱は傾いておらず、カメラの角度でそう見えただけだったことが判明したという信じ難い誤報問題も発生した。

東京都が公表した、敷地内の地下水のベンゼン、ヒ素、水銀についてのモニタリング数値も、飲料水として利用する場合の「環境基準」、排水に用いる場合の「排水基準」等が区別されることなく、あたかも土壌汚染を示すものであるかのように報じられた。生鮮食品を扱う市場の敷地内で有害化学物質が検出され、しかも、過去一度も上回ったことのない「環境基準」を超える量のベンゼンやヒ素が検出されたり、「国の指針値」の7倍もの濃度の水銀が検出されたりしたという話を聞けば、豊洲市場への移転について、消費者が不安を持つのは当然である。

9月10日の「緊急会見」後の一連の報道の結果、豊洲市場に対するイメージは極端に悪化し、「生鮮食品を扱う市場として使うことは困難になった」との声も聞かれるに至っている。

その会見の10日前、小池知事は、「安全性への疑念」も理由の一つに挙げて、豊洲への市場移転の延期を発表していた。わずか10日後の土曜日の「緊急会見」で「安全性の確保についてオーソライズされていない」と発言すれば、「安全性への疑念」が具体化したことの指摘と受け取られることは十分に予想できたはずだ。小池知事自身が「盛り土・地下空間」の問題が「情報開示・情報公開」の問題であり、ただちに客観的な安全性につながる問題ではないことを繰り返し強調する姿勢をとらない限り、豊洲への市場移転に一貫して反対してきた共産党都議団の動きや、それに便乗してガセネタを流布する「専門家」の言動とあいまって、「豊洲市場」について「安全性に関する重大な問題がある」との認識が世の中に拡散する結果になるのは必然だったと言えよう。小池氏の対応には、マスコミ報道の過熱を助長する面があったと言わざるを得ない。

【前回ブログ記事】でも述べたように、11月7日に予定され、既に施設が完成し業者も準備を行っていた8月末の段階での豊洲への移転延期という、通常はあり得ない決定を発表していた小池氏にとって、移転延期の判断が正しかったことを根拠づける何らかの理由が必要だった。そのために、「情報開示に関する問題」に過ぎない問題を、安全性にも関連する問題でもあるかのように、「前のめり」に取り上げてしまったと見ることもできるだろう。

小池氏の対応は本当に「都民ファースト」か

豊洲市場問題に対する小池氏の発言や対応は、表面的には、コンプライアンス的に正しいように思える。まさに、小池氏は、コンプライアンスで武装した「リボンの騎士」であり、「小池劇場」で演じられているのは、まさに小池流「コンプライアンス都政」である。

しかし、これまで述べてきたように、その「コンプライアンス論」には、いくつもの矛盾と欠陥がある。少なくとも、東京都が、現在のやり方のまま、豊洲市場問題に対応していくことが本当に都民の利益に沿う「都民ファースト」と言えるのかには多大な疑問を持たざるを得ない。ところが、豊洲市場問題への小池知事の対応について、正面から批判する声はほとんど聞かれない。小池氏が都知事選挙で圧勝し、今なお絶大な人気を誇っていることから、批判すること自体で「炎上」の危険があると考えているからかもしれない。

小池氏が、本当に「情報公開」を都政改革の中心に位置づけていくのであれば、小池氏が明らかにした方針や、公開された情報に関して、自由闊達な議論が行われることが重要であろう。正面から批判をすることを躊躇させるような小池劇場の「魔力」には危険な面がある。巨大な東京都の行政組織が明らかに変調をきたしていることに、一都民として、強い危惧を感じざるを得ない。

都知事としての発言・説明の「私案」

最後に、これまで述べてきたことを踏まえ、「本件について都知事として行うべきであった発言・説明」について私の案を示し、本稿の締めくくりとしたい。

 豊洲市場に関しては、土壌汚染対策として、敷地全面について盛り土を行っていると、都民の皆さまにも、都議会にもご説明していたのに、建物の下は空間になっていて盛り土をしていないのではないかとの御指摘を頂き、確認をしましたところ、青果棟、鮮魚棟等の地下は、汚染土壌を取り除いた上に砕石層を設置し、それを直接コンクリートで蓋をして、その上は地下空間になっていることがわかりました。この敷地全体に盛り土をするという方法は、豊洲市場の土壌汚染対策について専門的見地から御検討頂くために設置していた専門家会議で提言されていたことでありますし、都民の皆さまには、提言どおりの土壌汚染対策を行っていると情報公開し、議会でも説明していたわけですから、一部盛り土が行われていなかったということは、そういう点からも、都民の皆さまにも、議会に対しても事実に反する情報公開・説明をしていたことになります。

もちろん、このような建物の下で盛り土をせずにコンクリートで蓋をして地下空間を設置するという方法が、都の担当部局において、様々な観点からの検討を行った上で、土壌汚染対策も含め安全性に問題はないとの判断に基づいて行ったものだと思いますし、そのような方法をとることで土壌汚染対策の安全性に問題が生じるということではありません。しかし、いずれにせよ、都民の皆さまや議会に対して事実に反する情報公開・説明をしていたことについて、訂正するとともに、東京都の行政の最高責任者として、深くお詫びをしたいと思います。

「情報公開」は私が都政改革の中心的課題として掲げるものですが、公開する情報が正しいものでなければならないことは当然であり、今回のようなことは二度と起きないように情報公開の改革を進めていきたいと思います。

また、今回の問題は、土壌汚染対策の安全性に直接疑問を生じさせる問題ではありませんが、かねてから豊洲市場の安全性に対する疑念が払拭できていない中で、この「建物の下は盛り土をせず地下空間を設ける」という方法についても、改めて専門家にお伺いするなどして、安全性に問題がないことの確認をしっかり行っていきたいと思います。

なお、もう一つ重要な問題は、建物の下に盛り土をせず地下空間をつくるという方法が、いつ、どこで、誰によって決定されたのか、という点であります。専門家会議の提言を受け、施設整備の中で土壌汚染対策を具体化することに関して設置された技術会議において、そのような方法がどのように議論されたのか、都の担当部門で、どのような検討を行い、どのような手続を経て、それを決定したのか。専門家会議の提言とは一部異なる方法をとるのであれば、その点が十分に説明される必要があると思います。これは、ある意味では、東京都という行政組織のガバナンスの問題でもありますので、その点は、当時の担当者も含めて、場合によっては、当時の東京都の最高責任者であった石原元知事にもお話をお伺いした上で、明らかにしていきたいと思います。その結果、東京都の組織の在り方、ガバナンスの問題があるということが明らかになった場合には、躊躇なく、思い切った改革を行っていきたいと思います。

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小池都知事「豊洲市場問題対応」をコンプライアンス的に考える

小池百合子都知事が、9月10日土曜日に豊洲市場の土壌汚染問題に関する「緊急会見」を開き、専門家会議で土壌汚染対策として建物の地下も含めて「盛り土」を行うことを提言し、都もそのような説明をしていたのに、実際には、建物の地下では「盛り土」が行われず、空間になっていたことを明らかにした。11月に予定されていた築地市場の豊洲への移転を延期する方針を発表した10日後だった。それ以降、この問題は、東京都民のみならず、社会全体にとっても重大な問題として、連日、マスコミで取り上げられてきた。

この問題では、11月1日に、小池知事が、「都の幹部8名が、盛り土をしないことを決めた実務上の決定者、また事実を知り得る立場にあった者であった」として、懲戒処分の手続きを行うことを明言した。

そして、11月4日に東京都が公表した「豊洲市場移転に関するロードマップ」によると、現在設置している専門家会議と、市場問題プロジェクトチームが中心となって安全性等の検証を行い、その後に環境アセスメントに入る。環境影響が軽微の場合は1、2カ月程度で終了するが、影響が大きい場合は再検討が必要で15カ月程度かかる。環境アセス次第では、追加対策工事が生じる可能性があり、最後に農相への認可手続きを経て、移転は2018年以降に大きくずれ込むとのことである。

築地市場の設備が老朽化し、市場としての機能が著しく低下する中、整備がほとんど完了している豊洲市場には移転ができず、一日500万円の維持費がかかる状況が、今後もかなりの期間続くことになる。

このような事態になってしまったことについて、豊洲市場自体の問題と、それに関する東京都の対応にどのような問題があり、それがどのように取り上げられ、マスコミや世の中がどのように反応してきたのか、これまでの経過を振り返ってみたい。

安全性・健康被害に関連する問題のコンプライアンス要素

官公庁や企業の事業や業務に関して、安全性や健康被害が問題になる場合、コンプライアンスの視点から問題となる要素が3つある。①「客観的な安全性」、②消費者、利用者等の「安心」、そして、③事業や業務に関する情報開示・説明責任である。

この3つの要素は、相互に密接に関わっている。

まず、①の「客観的な安全性」が最も重要であることは言うまでもない。法令上の基準を全て充たすだけではなく、考え得るあらゆるリスクに対応する万全の措置をとることが「安全コンプライアンス」として不可欠である。

しかし、いくら客観的には安全であっても、そして、危険性が合理的に否定できても、安全ではない印象・イメージを持たれることで②の「安心」が損なわれる場合もある。

そこで、重要となるのが、③の情報開示・説明責任を十分に尽くすことだ。それによって、「安全」であることへの信頼が確保され、「安心」を得ることができる。もし、情報開示が十分に行われていないと「隠ぺい」と批判され、事実に反する情報の開示を意図的に行っていた場合には、「改ざん」「偽装」「ねつ造」による厳しい批判・非難を受け、組織の信頼が失われるだけでなく、「安心」も著しく損なわれることになる。

かかる意味において、組織にとって、その活動をめぐる「情報開示」を積極的に行うことは重要である。しかし、組織の活動や業務をすべて公開し、透明にすることが求められているわけではない。情報開示が求められる程度は、事業・業務の内容や問題の性格、重要性によって異なる。

また、開示された「情報」が正しく理解されず、誤ったイメージによって、価値判断や評価が行われることで、大きな弊害が生じる場合もある。情報開示は、受け取る側の「情報リテラシー」如何によっては、「負の作用」を生じることに注意しなくてはならない。特に、「安全性」の問題に関して、専門的な知識がなければ意味が正しく理解できない数値などが公表された場合、マスコミの取り上げ方によっては、健康への影響等について、誤ったイメージが広がってしまい、正しい判断をすることが著しく困難になることもある。

豊洲移転問題のコンプライアンス的整理

東京都にとって、築地市場の豊洲への移転問題は、上記の①~③が複雑に交錯する困難なコンプライアンス問題である。

土壌に汚染物質を含む工場跡地に生鮮食品を扱う市場を建設するのであるから(そのような立地を選択したことの是非はおいておくとして)、まず、①の「安全性」に関して、土壌汚染対策等において法令上の基準を充たすことはもとより、健康被害の可能性をなくすための万全の安全対策が求められることは言うまでもない。

次に、②の「安心」に関してだが、これは「安全性」を確保するための対策が万全であることについて、市場関係者や消費者等に理解・納得してもらい、それを通して「安心」を得なくてはならない。そのために、豊洲への市場移転を決定した当事者の東京都側が「安全」と判断するだけではなく、その判断を客観化するための外部の専門家による検証を行うことが必要となる。

そして、③の「情報開示」に関しては、安全性に関わる事項について十分な情報開示を行うことと、安全対策等に関する議会での質問などに対して正確な説明を丁寧に行うことである。

築地市場の豊洲への移転は、石原知事時代の2001年に決定された方針にしたがい、その後の猪瀬知事時代、舛添知事時代も着々と進められてきた。その過程で、安全対策を外部の専門家が評価する枠組みとして設置されたのが「専門家会議」であり、その方針に沿って、外部者からなる「技術会議」での議論も踏まえて、建設計画が具体化されてきた。

こうして新市場の整備のほとんどが完了し、11月7日に予定された移転に向けての最終段階の作業が進められていた今年8月に、舛添知事の辞任を受けての都知事選挙で圧勝した小池百合子氏が都知事に就任し、豊洲への市場移転問題への対応の「主役」の座に登場することになった。

小池氏は、自らの著書(「東京WOMEN大作戦」2008年)で、市場は築地での建替えが妥当だとし、豊洲は東京五輪用のメディアセンターなど、食との関係の薄い分野で活用すべきと述べていた。都知事就任後、都政改革本部を設け、「都政改革」の方針を打ち出している小池氏が、豊洲への移転について、どのような判断を下すのかが注目された。

しかし、この時点での判断というのは、市場の豊洲への移転の是非を判断する段階、或いは、その建設途中の段階のものとは異なる。既に、6000億円近くもの巨費が投じられて建物や設備のほとんどが完成しており、11月の移転に向けて、冷凍業者等は設備の稼働に入っている。移転を中止すれば、投じられた費用の大部分はドブに捨てることになるし、延期した場合も、一日500万円を超える維持費がかかる。常識で考えれば、豊洲への移転を中止又は延期できる時期は、とうに過ぎているといえるだろう。

それでも、豊洲への移転自体を見直すとか、移転時期を大幅に延期する必要性が生じる場合もあり得る。その理由があるとすれば、①の安全性の問題である。

もし、豊洲市場の土壌汚染など、安全性に関して疑念を生じさせる事実が新たに発見されたのであれば、人の健康に関わる問題であるだけに、巨額の整備費用や維持費のことなど言っていられないだろう。客観的に安全と言えるか否かを、あらゆる観点から徹底的に再検証し、その結果如何によっては移転中止ということもあり得る判断である。しかし、①の安全性以外の問題で、移転を中止ないし大幅に延期する理由は考えにくい。

客観的な安全性には問題がないにもかかわらず、都民の間に「不安」が生じているのであれば、その不安を解消すべく最大限の努力をすべきであるし、情報開示・説明が不十分であるために、不安が解消できていないということであれば、改めて情報開示・説明を行うことで、安全性に対する疑問を解消することが何より重要となる。

要するに、①の「安全性」の問題と切り離して、裸のまま②の「安心」、③の「情報開示・説明責任」の問題を取り上げても、それだけでは豊洲への移転の見直しや延期を正当化できるとはいえないのであり、予定どおり移転することの是非の判断は、兎にも角にも、①の「安全性」の問題にかかっているのである。

豊洲への移転延期の理由

8月31日に豊洲への移転を延期することを発表した際、小池氏が挙げた延期の理由は、①の「安全性」の観点だけの単純なものではなかった。

「都民ファースト」の観点から、第1に「安全性への懸念」、第2に「巨額かつ不透明な費用の増大」、第3に「情報公開の不足」という3つの理由から、延期を決断したとの説明であった。

「安全性への懸念」については、2014年11月18日から2年間の予定で土壌汚染対策の安全性の確認のための地下水のモニタリングが行われているので、その完了前に豊洲市場を開場することはできない、2年間のモニタリング結果を見届けることは、安全性の確認の説得力ということにおいて譲ることはできない、という理由だった。

確かに、土壌汚染対策は、もしそれが不十分であれば、地下水のモニタリングの結果に表れるのであるから、予定のモニタリングが完了する前に、市場を開場すべきではないというのは「正論」である。しかし、既に前知事の時代に、11月 7日開場の予定で、全てが動いている。それを延期することで、市場関係者に重大な影響が生じることは避けられない。仮に、地下水モニタリングが完了していないことだけを理由にして移転を延期し、最後のモニタリングの結果に全く問題がなかった場合、結果論ではあるが、小池氏の移転延期の判断によって大きな損失が生じたということになる。そこで、第1の「安全性への懸念」に付け加えられたのが、第2、第3の理由なのであろう。

しかし、第2の「巨額かつ不透明な費用の増大」というのは移転延期の理由になるだろうか。建設費が当初の予定を大幅に上回っていることは事実だが、その費用は、既に前知事までの時代に投じられてしまっている。移転を中止すれば、投じられた費用の多くはムダになり、移転を延期すれば多額の維持費用がかかることになり、都民の負担をさらに増大させることになるだけだ。「巨額かつ不透明な費用の増大」については、その経緯について十分な事実解明が行われるべきであるし、その結果、関係者の責任追及や、支払った費用の返還や賠償を求める事態に発展することはあり得るが、移転の中止・延期の理由になるものではない。

そこで、第3の「情報公開の不足」という理由が持ち出され、「都民ファースト」という小池氏のスローガンの中心とされている「情報公開」にも関連するものとして重視されることになった。

小池氏は、この点について、記者会見で

豊洲新市場が2752億円もかけた立派な建物だけれども、そこでこんなにお金をかけていながら、そこで仕事をする業者さんからいまだに不満が多く出てくるのは一体何なのでしょうか。それから、849億円もかけて土壌汚染対策をしているのに、安全性への疑問が絶えないのは一体何なのでしょうか。それは、私はやはり適切な情報開示、情報公開が行われて、またはちゃんとそれが伝わっていなかったからではないだろうか

と述べている。

しかし、安全性の問題と離れて、情報開示・情報公開が十分ではなかったことが、既に建物設備が完成している豊洲市場の開場を中止したり、大幅に延期したりする理由になるといえるのだろうか。「安全性」に関して問題がないことが客観的に明らかなのに、情報開示に問題があり、「安心」が得られていないというのであれば、改めて、それを十分に情報開示、説明すべきである。そして、その反省を、情報公開に関する都政改革に結び付けていけばよいのである。従前の情報開示に問題があったとしても、「客観的な安全性」の問題から離れて、移転を中止・延期することの理由にはならないのではないか。

既に建物・設備は完成し移転を目前に控えていた豊洲市場開場を延期することの是非を考えるのであれば、本来、「安全性」の問題に議論を集中すべきであった。ところが、小池都知事の会見での説明によって、論点が、「それまでかけてきた費用の正当性」「情報開示の内容」等に拡散することになった。

「盛り土」中心のストーリー展開

そして、延期発表から10日後の9月10日、土曜日の「緊急会見」で、小池氏が、敷地全体で行われるという方針であった「盛り土」が、建物の地下では行われていなかったことを明らかにし、問題を指摘したことで、それ以降、豊洲への移転問題は、「盛り土」の問題を中心にストーリーが展開していくことになった。まさに、小池劇場での小池監督主演映画“盛り土”の開演である。

本来、「盛り土」は、工場跡地に立地する豊洲市場の土壌汚染対策の唯一の方法というわけではなく、一つの手段に過ぎない。ところが、「盛り土」が建物の地下で行われていなかったのが、いかなる理由なのか、誰が決めたのか、なぜ、その事実が正しく情報開示されていなかったのか、という「盛り土」に関する事実だけがクローズアップされてきた。

しかも、建物の地下で「盛り土」を行っていないのに、行っているように説明していたというのは、「情報開示」、つまり上記③の問題なのであるが、それを、①の「安全性」の問題、②の「安心」の問題と関連づけ、さらに、小池都政改革の目玉とされている一般的な「情報公開」の文脈で捉えるという「カメラワーク」の影響もあって、豊洲市場問題における「盛り土」の位置づけがどんどん高まっていった。

小池氏の「緊急会見」での指摘以降、「盛り土」問題がどのような経緯をたどり、都の幹部8人の「懲戒処分」や、移転延期の長期化という事態につながったのか、次回ブログ記事で詳しく述べることとしたい。

 

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若狭勝氏ブログ発言と「特捜部の常套手段」

自民党の若狭勝衆議院議員が、昨晩(10月27日)、

意味深な話です。刑事被告人が無罪を主張している際、関係者から、「執行猶予だから罪を認めろ」という働き掛けがなされる場合があります。しかし、状況に照らし、被告人が無罪と思われる場合、その働き掛けに応じることは、著しい人権侵害となるので、到底できません。

などという僅か4行の短いブログ記事を出し、それがBLOGOSに転載されていた。寄せられたコメントでは、都知事選で自民党都連の方針に反して小池百合子候補を支援した7人の区議会議員に対する自民党側の対応に関する発言と受け取られているようだが、ブログ記事の文面からはよくわからない。

ただ、このブログ記事の中で若狭氏が言っている「『執行猶予だから罪を認めろ』という働きかけ」の話に関連して思い出すのは、過去に特捜部が起訴した事件の公判対策で常套手段としてきたやり方だ。

特捜部が手掛けた事件などで、ターゲットとされた被疑者が否認を続け、公判でも全面無罪を主張することが予想される場合に、関与の薄い関係者も含めて「共犯者」として逮捕・勾留することは珍しくない。その共犯者の弁護人に対して、検察側から、「保釈に協力する。どうせ執行猶予だから公判で認めさせてほしい。」との働きかけが行われることがある。その弁護人が「検察協力型ヤメ検弁護士」だと、弁護人が「早期保釈も得られるし、判決は執行猶予が確実だ。」とその共犯者を説得すれば、共犯者は全面的に事実を認めて早期結審し、執行猶予付き有罪判決が出ることになる。この場合、同じ事件であれば、一つの起訴状で同時に起訴されるので、無罪主張をする被告人と早期結審で有罪判決を受ける共犯者は同じ裁判体に裁かれることになる。

全面的に事実を認めた被告人の裁判は、弁護人が検察官調書等を証拠とすることに同意するので、裁判官はほぼ調書しか見ないで有罪判決を出す。一方、無罪主張をする被告人の裁判では、争っている事実についての検察官調書は証拠とされず、証人尋問が行われるので、同じ事件であっても有罪無罪の判断の根拠となる証拠は異なることになる。判断のもとになる証拠関係が異なるのであるから両者の判決結果が異なってもおかしくはないのであるが、実際には、同じ事件について、共犯者に既に有罪の判決を出した裁判官にとって、主犯者の事件で無罪判決を出すことには相当な心理的抵抗が生じる。

そのような効果を狙って、本来であれば、起訴する必要もないような共犯者も敢えて起訴するということは、実際に、過去の特捜事件において行われてきたし、このようなやり方は、特捜部にとって有力な公判対策になってきた。それによって、刑事処罰を受けるようなことをした覚えはないと思っている場合、つまり、「被告人が無罪と思われる場合」に近いのに、「早期保釈」「執行猶予」で説得されて罪を認めて有罪となった人間も少なくない。

若狭氏は、そういう特捜部で、主任検察官や副部長を務め、「『執行猶予だから罪を認めろ』という働き掛け」を行う側であった。「その働き掛けに応じることは、著しい人権侵害となるので、到底できません。」などと言っているのは、特捜部時代のことへの反省と悔恨を込めているのであろうか。

若狭氏とは検事任官同期である私は、彼が、検事退官後、弁護士・コメンテーターの立場から、参議院選挙に立候補した時(この選挙では落選し、2014年の衆議院議員選挙で初当選)にも、【参議院選出馬の若狭勝弁護士、「法律実務家としての魂」はどこに?】と題するブログ記事で、「検事・若狭勝」に関する私の記憶をたどった上、国会議員への転身を図る彼の姿勢を批判してきた。

その考えに今も変わりはない。

 

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